7月10日(金)男モテのテクニックと、気遣いやコミュニケーション

 きのうは、美容院に行ってさっぱりしたあとイオンで買い物をして帰り、買ってきた漫画を読んだ。
 美容院で、髪をやってもらっているあいだ男性の「アート ディレクター」さんに間断なく褒められる。べた褒めじゃなくて、でもすごいですね、みたいなさりげない?言い方で。話したことすべてを、聞いていますよというおうむ返しと、褒めを含んだ返事が返ってくる。家では、相手に、暗にもう聞きたくないということを示されるひともいるのではないか。話しをしかけて、じゃあ、とさっと席を立たれたり、言い終わらないうちにフーンという返事をかぶせたりといったことを。美容院では髪もさっぱりするし、話したいことを話せていい気にもさせてくれ、また来ようと思う。すばらしい接客だ。実際、子育て期間中は大事なオアシスだった。客は女性が大半だけど二割くらいだろうか、男性もいる。

 女子小学生向けに男子をほめて喜ばせる実践指南書があって驚いた、というツイッターで流れてきて、それを的確に語ったのが、QJWebでの清田隆之氏の文言にあった。
「QJWeb 女子小学生にまで求められる"モテ技"。男はなぜ『さしすせそ』で気持ちよくなってしまうのか 清田隆之 2020.5.16」
面白かった。
清田氏の文中で知った。ーー指南書にあった、男ウケのテクニックは、「さしすせそ」。「さ」さすが!。「し」知らなかったー!。「す」すごい!。「せ」センスいい!。「そ」そうなんだ!。

  清田氏は、男性は承認されていないと不安な性である、男性は自分のそのところが無自覚である、ということを違う本を引いてあげている。そこに、ケアする役割が女性という価値観を変える鍵がある、というようなことを続けている。

(私はこのように受け取ったが、原文のままではありません。正しくは、清田隆之氏の文章を読んでください。)

 

 小学生に因習を刷り込む本が販売される社会はどうかと思う。男にモテるテクと気遣いやコミュニケ―ションと混同されないかが、やや気がかりだ。男性をケアすることを基準とするのはおかしい。人としての気遣いやコミュニケーションは性に関係ない、社会生活を送る上で大事なことだ。そこにモテのテクニックが入り込むとややこしくなる。モテのテクニックに限定すると、同性同士だったら、人を恋うとき、性の非対称は克服されているのだろうか。
 女性は、男性をおだてないと男性の反発で面倒くさい事態になるからから処世術としてやっているというより、すでに男性をおだてるのが面倒くさくなっているのではないだろうか。仕事の付き合いや職業として、意識しておだてるのはある。そうされるのは男性に限らない。美容師さんにおだてられていい気になっているわたくしだ。
 男性をおだてたってたいしていいことはない。仮にモテても、ケア役割を期待され続けるかもしれない、それでいいのなら、それは自由だ。ケア一択の社会ではない、おだてなくて男性が仮に反発しても、反発しているな、で済ます余裕が社会にできつつあると思っている。