きのうは一日家にいた。17時から保坂和志の「小説的思考塾リモート vol.4」を視聴した。
レクチャーは19時までで、そのあとzoomで、質問したい視聴者との応対をも見ることができたんだけど、視聴をやめて、夕食にした。あとで見る。たぶん。
ぞくぞくすることを追いかける。ーー深堀する。
あと、私は犬と一緒で、無目的に自分を享受することってないなあ。享受しようとしてする。無目的の体裁をとるのは、この日記だけど。
私の中の小説への敷居が下がるので、このレクチャーは好き。
資料として挙げられた文章を、さらに抜粋する。
カタチをとる心理的経験(心象)は必要に応じ、その場その場、つまり「現場」で作りだされるのであって、「固定した」心象が大量に、整然と、どこかに貯蔵されていて、その貯蔵部位から引き出されてくる、というようなものではない、と考えています。
そうなのです、動物でさえ、植物でさえ観想なのです。「人間と犬は除いて、と彼は付け加えた。彼にしてみれば、人間と犬は、喜びというものを知らない陰鬱な動物なのだ」。
万物が観想するわけです。花や牛は、哲学者以上に観想します。しかも、観想しながら、自分で自分を充たし、自分を享受するのです。
文学とは、何かの構想が先行していて、それを紙面に実現してゆくというような行為とちがう。どんなにたくさんの構想が渦巻いていようと、書く瞬間に、それらは、すべて、死滅せざるをえない。書く創造のあやうさとは、文学が構想の実現でありえないところにある。
平行世界、生まれ変わり、運命