7月13日(火)父の面会 忘れていく

きのうは、父の老人ホームに面会に行った。T夫と妹のK子。T夫が出荷を終わらせてから、家を出る。私は帰りに買い物をしたいので、帰りはT夫と別行動。各々自分の車で駅まで行く。駅で落ち合う。
 老人ホームの最寄り駅の駅前のそば屋で、1時50分にK子と待ち合わせる。K子の子、私の甥の就職が決まった話だの、義弟が定年退職して、再就職した話だの、姪たちの様子と私の子たちの様子を交換し終わるころ、注文した料理がきた。ゆっくり来るのはいいんだけど、面会の時間が3時で、2時45分には店を出ないと、間に合わない。あと20分もない。料理はおいしくて量が多い。T夫なんか寿司天ぷら御膳でそばもあるんだけど、そばを大盛にしていて、食べきれない。私とK子は焼き魚三種御膳。3種くらいの野菜の素揚げとふっくら焼けた脂ののった魚の切り身3枚分とごはんとお吸い物とそばと何かの小皿。2食分はある。がんばって口に運んだ。時間が来て店を出る。老人ホームまで速足で歩く。お腹が苦しい。ゆっくり食べたかった。

 

3脚の長椅子と小机、長椅子を机で隔てて、ロビーが広がる。机の上にアクリル板がある。父が車いすで運ばれてきた。「今日は来てくれてどうもありがとう」しっかりした口調で言った。K子と私のことはわかったが、T夫のことがわからない。
父は先月尿路感染症で熱が出て入院して退院した。退院してよかったね、ワクチンも打ったんでしょ? と聞いても要領を得ない。忘れている。学生のときに住んでいた地名を私たちが出しても反応が薄い。会社に入社したころ父のおばさんのお寺に間借りさせてもらっていたことも、何のことだろうという感じ。私が聞いていた、父の若いころの話をしてもあまり反応がない。テレビ見ているの、と聞くと、テレビはつけているけど、ただついているだけ、何を見たとか番組を覚えていない、という内容を何度かやり取りしてわかった。なにか答えようとして両手で頭をかるく抱える仕草を何度もした。
面会時間の15分が経ち、運ばれていく途中、父は、そうだ、先祖のことを調べてまとめといてくれよ、とK子に言ったらしい。私はトイレに行っていた。トイレから出て入り口で合流すると、ううん、わかった、とK子が浮かない感じで言っていた。
帰り道、歩きながら父の頼み事をK子が話した。本棚に「一門史」があるよ。分厚い本。おじさんにもらったやつ。母が持っていたじゃない。ああそうだそういえば、とK子。でもなんでそんなこと言うんだろうと不思議がる。世界遺産になった家の遠い親戚ていっぱいいると思うけど、そういうのとのつながりを確認したいんじゃないの。と私はK子に言った。


生まれ育った郷土や人のことを、忘れるから、書かれたものを手元に置いて、読むたびに、自分を囲んでいたなつかしい人達や土地の空気を思い出して、しみじみ自分を確認しておきたいのだろうか、と今は思う。しかし、今の父に字が読めるのだろうか。

幼いころ体の弱かった父のために、鯉の血を、氷で冷やしながら遠くからわざわざ運んできて飲ませてくれた磯部のおじさん。父方のおじさんで、父の父(私の祖父)は婿だった。兄弟が婿に入った家の体の弱い甥そして兄弟への厚情だ。よくしてくれてね、と父は言っていた。そして、会社に勤めはじめてお寺に間借りしていた時、お寺だから精進料理しかなくて、おばさんが、父のためにお寺の門の外で、七輪で魚を焼いてくれた話。おばさんは母方の姉妹と聞いている。もう、私しか、知らないのだろうか。父は忘れつつあり、そういうことを話すことはないのだな。