7月26日(月)『ジャパノラマ』(水声社)刊行記念トークイベント視聴

きのうは、午前中からモスバーガーでマニュアルを読む。

午後15時から、オンライン(ZOOM)『ジャパノラマ』(水声社)刊行記念 長谷川祐子×小林康夫×星野太トークイベント「日本の現代アートのパノラマ」を視聴した。

『ジャパノラマ』展は、ポンピド―・センター・メスで2017年から2018年にかけて開催された。キュレーターは長谷川祐子氏。

 欧米の観者評論家コレクターたちに、日本の美術を紹介、提示する。欧米の考え方や土台に理解されるよう、欧米で慣れ親しまれた文脈・概念を取り掛かりにして、それだけじゃない日本美術を提示する。理解の土台がない、まるっきりかけ離れていると、美術館で展示はされるかもしれないが、購入まではしない。美術館に見に来る人の関心も薄くなる。

ジャパノラマの本は、留学生に日本の美術を教えるのに、わかりやすいと好評と長谷川氏。小林氏は、この本を参照して、海外に売り込んでいくのにいいかもしれないというふうなことを言った。

 

 

以下、殴り書きメモ。個人の勝手なメモです。

長谷川氏。ポンピドー・センター・メッスで開催された展覧会「ジャパノラマ」のフランス語のカタログ、というか参考文献というか論考集というか、ただのカタログではない。その日本語訳の本。
1970年から80年代、90年代、2000年代、震災以降までの日本の現代美術。「かわいい」「禅」を払拭した今の日本観を欧米に醸成してもらう意図があった。どのように言語化されるのかが問題になってくる。

小林氏。日本半世紀、どれほど大量だったか。群島になったのはしかるべくして。圧倒的に強いのはマルセル・デュシャンの名。東大の大ガラスを作るのに携わった。

星野氏。視差。「キャラ」という概念を、フランス人に向けて、イコノロジー、表象システムとして解く。フランス人にある表現がないと、分かってもらえない。

日本語版は、海外に向けて日本のサブカルをどのようにリプレゼンーションをするかを提示している。   

長谷川氏。物の見方を転倒させたデュシャン。アジア人の大きな参照点。フランスでは、デュシャンをシステムとして見ている。

小林氏。デュシャンは、フレームを問うた。

長谷川氏。アニメ、動く絵。アニマ、魂。

星野氏。静止画。声で動くように見せることもある。

長谷川氏。相手の持っているクリシェとどう共有していくのか。自分たちの持っている文明に接続できないと、買わない。

星野氏?。芸術観、ヒューマニティの確認。奈良美智の作品を宗教的なアイコンと見た欧米。そういった欧米の考え方見方を取り入れることも重要。

長谷川氏。作品とともにある。現在作るものは予測ができない。下手に文を書いて掬うと、自由度を欠いてしまう。

小林氏。ゲーム、インベーダーゲームの快さ。オーセンティック。
あるとき、美術もフレームありきになった。そもそもグラウンド自体を作るのがアート。
アートがゲームのようになるという危機感。デュシャンのチェスの盤上に乗っている。
ゲームとは資本主義の根幹。だけど、それだけでもっているわけじゃない。ますますアートも必要。しかし、難しい。コンテンポラリーアートがゲームになっている。

長谷川氏。アート、定義?し続ける。原?あって。コンセプチュアル。小技が多い。
脱出する、か、違う資本を作るか。違う資本とは、コラボレーション。潜在的なこうぎ?を見える化する。
エコロジーサステナブルな未来を作るためアートを ?うずつ。もっと別なやり方で価値を見せていく。
震災後、問題点を感性で理解できるようにした作品が出てきた。
批評性にわかるようにしていく。?
明瞭にさせる。不安定さ、絶えず考え続ける。
共生、コラボ。ある意味共生だが裏にメッセージ。建築家・デザイナーは意識が高い。グローバル化サステナビリティは世界的になっていく。日本的なことは30年40年経つと無くなる。アイデンティティとして日本的は早晩不可能。
日本人的にいることで抑圧されたマイノリティ出てくる。「日本」としての展覧会は、多分最後だろう。

長谷川氏。新しい世界観。いたるところでバナキュラー、突出している。思い込みありつつも自由自在に編まれていない。
デザスターの表象。海外が注目。知恵の源(デザスター)をどうやって。光。

星野氏。日本、クレオール的になって。デザスター、外に向けて拡大していく。

小林氏。道化。矛盾する力を持っている。小さな国に。ベルギーのアーティストが持っていると思う。諧謔・パラドクスは小国が持つ。発酵していく。

長谷川氏。作品の言語化が大切。