10月17日(日)別荘に遊ぶ

きのうは、待ち合わせの7時50分発の電車に間に合うよう、小田急新宿駅の階段を降りて急行ホームに着いたら、アナウンスが流れていて、先ほど人身事故があったと知った。相模大野―相武台前が不通。新宿―相模大野と、相武台前―小田原で折り返し運転になった。相模大野行きの電車がホームに入ってきた。
参加するメンバーにグループのラインで尋ねたら、A氏が7号車あたりのホームにいる。私は移動し、電車に乗る旨をラインに投稿して、乗る。A氏が私を見つけてくれて車内に入ってきて、隣に座った。もう一人、待ち合わせていたK氏は「えっ」とラインにあり、しばらくして、後続の電車に乗ったとあった。
ライングループには、これから行く別荘のオーナーS氏と長野から来るH氏も入っている。S氏は、「地図を見ながら、どこでピックアップがいいか、考えます」
A氏と私と後続のK氏の電車組は、相模大野に着いて考えましょう、なんとかなりますよ、とか、藤沢まわりでJRか?とか、江の島もいいなあ、サザエのつぼ焼きで一杯、私も~、とか、ひとりじゃない気楽さで、はしゃいだ投稿をしあった。9時復旧予定、とアナウンスが流れて、S氏の車との待ち合わせ駅は、前からの予定通り、新松田ということにして、S氏は新松田に向かう。
私たちの電車が相模大野に着いた。駅のアナウンスで、運行再開見込みが20分遅くなったことと、江の島方面の大和から相鉄線で海老名に行くルートとを知る。海老名で小田急線に乗れば、いいのだ。新松田で確定だ。
10分くらいして後続のK氏の電車も着いて、K氏と合流した。もう一本電車が来て、相模大野駅のホームは3本の電車の客が下りて混んでいた。復旧を待って、小田急小田原方面下りホ―ムに立つ人も多くいた。運転再開を相模大野で待っていないで江の島方面の電車に乗った。大和で乗り換えて、私は初めて相鉄線に乗った。シートがグレーで車体が濃紺、かっこいい色遣いだ。海老名に着いて小田急線の改札を入ったら、運行再開しましたとアナウンスされていた。相模大野で待っていても同じ時間だったかもしれない。「あの時点で最善策でしたよね」とA氏に言った。一応、駅員さんに訊いたら、普通のスイカパスモ振替輸送分の電車賃は出ないということだ。初めて相鉄線に乗れてよかった、ということにする。通常より1時間遅れて、10時20分ころ新松田に着いた。到着時間はS氏の予想通りだった。
新松田駅の狭いロータリーのようなところで再会した。お待たせしました、お疲れさまです、お久しぶりです、と定型のような挨拶をして、車に乗る。2年ぶりだしアクシデントもあったのに。A氏やK氏とした挨拶も定型だった。実際に会うと、途切れていた時間がつながって再び流れる。
電車に乗っていたときから、時々雨が降っていた。国道246の山中湖への道は混んでいる。のろのろ運転だ。雨でも宣言解除で遊びに行く人が居るんですね、自分たちを棚に上げてますが。でも、宣言解除で、上に蓋されてたものが取れて、パッと軽くなった感じがします、私が言う。
ねえS君、私たち戦力外通告ですよ、私は右肩が痛くて、とA氏。
私も研いだ包丁で手を切っちゃいました、と私。
えー、驚いてみせるS氏。
今回はミッションがあって、S氏が拾ってゆでて冷凍しておいた栗を使って、栗ご飯と栗ジャムを作る。
朝食を食べてはきたものの、早かったから、おなかが空いていた。パン屋まであとどのくらいかしら、パン屋に着くまでは我慢できる。
H君に内緒でちょっとお店で食べちゃいましょうね、とA氏。丹沢湖入り口を過ぎたあたりから混まなくなり、しばらく行って右折して、いつものパン屋に停まる。
いつものフライッシュケーゼというソーセージと、パンをしこたま買う。外のテーブルで、4人それぞれが今食べたいと選んだパンをひとつ食べ、サービスのコーヒーを飲んだ。店内はどんどんお客が入ってレジで並ぶ列が伸びた。

山中湖の南の別荘地にあるS氏の別荘に着いた。S氏が薪ストーブに火を入れる。そして水道の元栓を開ける。私たちがコロナで来られなかった2年の間に、S氏が手を入れて変わったところを見て回る。H氏が使う6畳ほどの部屋に空間の大半を占めるハンモックがある。S氏がハンモックを張る土台を作った。組み立て式だ。この部屋と奥の部屋の間の壁の上の方に欄間が入った。広間と奥の部屋に挟まれたこの部屋は湿気を帯びるので、昔の実家の材を入れたんですよ、とS氏。壁は漆喰の中にセメントの層があってねえ。あら大変でしたね、でも、鴨居と柱の間の長方形はきれいに切り取られてますねえ。風呂場のドアも替わっていた。広間のテーブルに、木製のランタンのようなものがある。木板の直方体で上が開いていて、四方を透かし模様が施してある。S氏の手製だ。ドイツでは、こんなくず入れが卓上にある。ちょうど食パンが入っている袋をはめ込むサイズで、ドイツの人は食べた骨とか果物の皮をぽいぽい入れるんですよ、とS氏。家の外は、次の日わかるのだが、単管パイプで柱と梁と手すりを作り床にべニアを渡した手造りテラスの、単管パイプが黒く塗られていた。
景観に配慮してと管理会社に言われちゃってね、とS氏。確かに銀色だと工事現場感がありますね、とK氏。

私たちが着いて30分くらいして、長野県からH氏が着いた。H氏は山中湖周辺のスーパーで自分が食べたい「海の物」を買ってきた。H氏は肉を食べない。いつもは、お風呂に出た帰りに、スーパーに寄ってみんなで食料を買う。今回は感染予防で大人数での買い物を控えた。「海の物」以外のすべての食材は、S氏が買っておいてくれていた。

 

シェアしやすいように一つ一つのパンを5切れに切り分け、S氏がコーヒーを煎れて、S氏の庭で採れた柿とミカンを深皿に盛り付けて、H氏を入れて正式に5人で昼食を取った。パン屋での飲食はH氏が居なかったから、ただの休息だ。なんか流して、とH氏。変わりばんこでスマホに入っている音楽をスピーカーにBluetoothで飛ばして流す。私は、ベースとギターとドラムのジャズとアン・サリースマホに入れてきた。

あ、言わなくちゃという感じで、S氏が、コロナでホテルの立ち寄り湯の終了時間が早くなって、行くなら早い時間じゃないとだめ、と言う。
栗労働すると、もう家を出たくならないですね、とK氏。栗の作業が労働になった。
わたしは戦力外通告だけど、今日はゆっくり栗労働して、お風呂は明日の朝に行けばいいんじゃない、とA氏。
栗労働は今日中でないといけませんか、とK氏。
栗クリームは一晩冷蔵庫で寝かせるから、今日やっちゃう、とS氏。
すぐ風呂に行って、それから栗労働することになった。10分後、3時出発。

H氏の車に5人乗って、ホテルマウント富士に行く。霧雨が降ったりやんだり。露天風呂からは山中湖が正面に見える。青みがかったグレーの湖畔で、空は濃いグレーの雲が垂れ込めて、遠くの景色は見られない。空の濃いグレーと湖畔の青みがかったグレーの間 、湖畔近く低いところに横に細い雲というか霧のような白が帯のようにたなびいて、それも左から右へともやもや渦巻いて流れ、帯は崩れないが巻き毛のようなアウトラインは形状を少しずつ変えていく。見ていて飽きない。お湯につかりながら、眼鏡なしでよく見えないけど、目を大きめに開いてしばらく眺めた。
4時15分にホテルのエントランスで待ち合せていた。みんながそろったところで中庭に降りた。ヴューポイントのしつらえがあるところで記念撮影する。K氏が三脚を立ててカメラをセットした。近くに一人でいた浴衣姿の女性にH氏が近づいて、シャッターを押してくれるよう頼んだ。終わって、みんながお礼の言葉を口々に発すると、女性は、雲がかかって富士山が見えなくて、あいにくの天気ですねえ、と言った。
帰り、ホテルの玄関を出ると湖畔が見える。青みがかった湖のグレーと空の暗いクレーとあいだの白い帯という露店風呂で見た景色だ。H氏がいい天気だね、と言う。S氏がうん、と答えた。みんな言わずもがな、同感だ。

別荘に戻る。薪ストーブは広間にある。換気で、広間は一枚分のサッシ戸を開け、台所も各部屋も外に面したサッシや戸に10センチくらい隙間を開けているが、ストーブ一つで家じゅうがじんわり暖かい。いったん火を点けたら、つけっぱなしだ。時々薪をくべる。
冷凍が解けかかった栗は、レジ袋に二袋だ。鍋にお湯を沸かして5分つける。S氏に栗労働のやり方を教わる。一袋は、栗ご飯用で、栗の下のつるつるしていない「座」の端を切り落として、鬼皮を栗の上に向かって剝いて取る。そのあと渋皮を剝く。
もう一袋は栗クリーム用で、栗を半分に切断して、実をスプーンで掘り出す。スプーンを差し込んでくるっと回すと、実が崩れて楽に取れる。私は三徳包丁とフルーツナイフを持参した。お湯から引き揚げた栗の、鬼皮が濡れているうちに剝く。だんだん乾いてくるのだが、乾くと包丁の刃を入れるのに力を籠めないといけなくなる。A氏とH氏とK氏と私でやって、乾ききらないうちに、労働を終わらせた。S氏は野菜を切った。
S氏がお米と栗を入れて蓋した鉄鍋をテーブルの卓上コンロに乗せた。3合だ。K氏が火の番。時間を指定された。栗クリームは、キッチンのガスコンロで、鍋に粉々の栗を入れて、牛乳と生クリームとA氏持参の喜界島産の砂糖を入れて、ハンドブレンダーで撹拌する。栗クリームって、モンブランのあれだ。みんなで、お玉についたのをスプーンですくって味見した。それをK氏が動画に撮る。和栗のペースト、栗の味が濃くてすごくおいしい。向けられたカメラにS氏が、いい、ホントにおいしい、なんで来なかったの、と話しかける。H氏が横からカメラの前に入り、いいだろ。


そのあと大鍋に、野菜と豚肉とキノコ類を投入して、A氏とS氏が味噌仕立ての鍋を用意する。鍋の淵まで具が入っている。野菜が入り切らないので、少し残す。

思い思いに、大広間のテーブルに座ったりして、皆はS氏が淹れたコーヒーと私は持参の烏龍茶を飲みながら、おしゃべりする。H氏はベートーベンを弾くいろいろなピアニストのエピソードを話した。ベートーベンのピアノのCDは全部持っているそうだ。ピアノの練習は毎日している。昨年、月光を弾くために、初めてピアノに触れ、第一楽章を弾けるようにした。


S氏が栗ご飯の鉄鍋の蓋を開けた。表面は栗で敷き詰められている。キャー栗ばっかりー、と私が言った。もう一回、とK氏。もう一度蓋を閉じて、K氏がカメラを構えた。では、パッと蓋を開けた。わー、栗ばっかりだー。
K氏は動画と写真が趣味だ。学生時代はサークルの日常のスナップ写真をたくさん撮っていた。自分で焼いた写真を、ノートのページに切り込みを入れてはさんで写真集にして、部室持ってきた。部室に行くと置いてあった。誰かが写真の周りの紙に吹き出しでセリフを入れたりした。そういうのが何冊もあった。卒業後、何十年も経って、近い学年で同窓会が開かれるようになり、S氏の別荘で合宿するようになった。K氏は写真も撮るが、合宿を重ねるたびに動画に比重が移ってきた。
この合宿のために、新たにカメラを2台買ったそうだ。三脚沼にもはまっているらしく、K氏本人は言わなかったが、同じようなものが家にたくさんあるのよ、とずっと前の合宿に参加した奥さんがいっていた。K氏はただ苦笑いだ。撮った動画を編集して音楽をつけ、合宿ごとに2分くらいの短い動画を作ってラインにあげてくれる。カットの手際がいい。H氏は音楽の選択がいいといつも褒める。何より、過ごしたこの時間を、切り取って、実際よりもちょっといい自分たちを見ることができる。
自分の経験と自分が映った像を見る不思議さをいつも感じる。自分のすがただから、リアルだ。客観的にこう見えているのかな、とも思う。でも、演出が入り、実際よりちょっといい映像なのだ。それが跳ね返って、経験した実感に付け足される。
もともと、経験の手ごたえはあいまいなものだろう。振り返った時点の感想も入る。では、今、現在進行形でどう感じているのか、感じている私は客観的にはどのような姿なのか。今は、常に過去になっていく。ちょっと前を振り返ることなのか。

 

もう、手を止めて、いったん乾杯しよう、誰かが言う。台所で煮ていた鍋は、広間の卓上コンロに持ってきた。皿や箸なども持ってくる。テーブルに集まって、ビールで乾杯した。ああ、俺、半年ぶりにビールを飲む。H氏が言う。

S氏がそのために用意したというパソコンに、K氏持参のUSBを入れて、今までの合宿の動画を何本か流した。川沿いの景色が流れていく動画も数本あった。K氏が自転車かごにカメラを取り付けて川沿いを走った。川沿いの動画にはそれぞれジャンル違う音楽が付いている。作っていて飽きるから、とK氏は言った。鍋もつつきながら、にやっとしたり、笑ったり。H氏が言う。音楽のイメージと画面の組み合わせがいいな、ここにこんな音楽を使うのかって感心する。俺だったら考えられない。音楽の節の途切れるところで画面が変わるんだろ、その何秒かを編集するんだもんな。K氏はええ、まあ、と控えめに言いながら、あれ、分かってくれましたか、という顔をした。私は音と画面の切り替わるタイミングが同じことをH氏に言われるまで気付かなかった。

 

学生時代、K氏のスナップ写真で、写真を見ることと撮られること何度もフィードバックして、セルフイメージの元となった気がする。サークルでは演出とまではいかないけど、どこかでカメラを意識すると、気取りが混じる。
思い出したけど、自分が気に入るいい写真ばかりじゃなくて、飲み会とかで変な角度から変な顔したのを撮られて、いやだなあと思うのもあった。
学生時代、K氏に、変な顔の写真を見て、それぞれが、これは自分じゃないと思うけど、他人が写っているのは、その人らしいと思う、と言ったら、K氏が噴き出した。