5月10日(火)Mちゃんと会う Chim↑Pom展ハッピースプリング

きのうは、10:30に森美術館チケット売り場に集合。早めに六本木に着いたので、地図で目に留まった出雲大社東京分祠に行ってみた。石づくりの階段を上がると屋根のある建物があった。

まだ時間があり、ちょっと遠回りして集合場所へ。何しろ六本木ヒルズは不案内なので、ちょっとはなにか知っておきたかった。
私が一番に着いた。係の人にハッピーやスプリングの写真を見せると当日券が300円引きになるハッピースプリング割で、チケット買った。写真は、豚児からもらった花篭。
Yちゃんが来た。教えてハッピースプリング割でチケットを買った。Mちゃんが建物に入ってきて、私はわーいと胸のあたりで小さく両手を振り、Mちゃんも同じように両手を振りながら近づいてきた。Mちゃんは、濃い茶系のパンツに灰色がかったベージュのジャケット、黒地に細かい模様のプリントされたカットソーという格好だ。白と黒のチェック地の小ぶりの布バッグを肩にかけて化繊のエコバッグを持っている。Yちゃんは、黒のレインパンツとオーバーサイズの白黒の大胆な柄のジャケットと中に白黒の模様のシャツ、鋲みたいなスカルがつばと前面にたくさんついている黒いキャップを被って、ザックを背負っている。夫ちゃんと喧嘩していてこんな格好、とさっき言ってた。パンクの反抗精神を表しているらしい。Yちゃんは、前回会ったとき聞いたけど、夫君を支え、義母と義妹の引っ越しも手伝っていて偉い。前回、文化祭みたいな催しで、桜の花びらを模したピンクの紙に願い事を書いて、木の描かれた大きな紙に貼りましょうというのがあって、Yちゃんは、夫ちゃんの病気が早く治りますように、と書いていた。私は、ウクライナの人びとが幸福になりますように、と書いた。それを見たYちゃんは、あ、自分のこと書いちゃった、と言った。いや、自分のこと書くと、どろどろが出てくるから、と私は返した。
久しぶり。Mちゃんは、Yちゃんは卒業以来かも、と言い、Yちゃんは、ラインで見てるけどそうだわ、ラインのテレビ電話の参加ありがとう。私は、3年ぶりくらいかなあ。みんなで言いたいことを交換した。チケットを割引きで買えることを言うと、Mちゃんはスマホをスクロールして、城のお堀のへりに立つ花咲く桜の木の写真を見せてくれた。
Chim↑Pom 展:ハッピースプリングは、みんなで日程を合わせたらこの日で、どこで会おうかと探していたら、月曜日にやっている美術館も画廊も少ないなかで、Mちゃんが希望した。そうでもなければ来なかった。来てよかった、面白かった。

多分、会場を階上と階下に仕切る床を作った。それは単管で支えられている。会場の床はアスファルトが施されている。作者関係者と思われる女性が、ケープを肩にかけて椅子に座り友人らしい人に髪を切ってもらっていた。それを、何かで撮っていた。ほかの女性は、ふわりと体を動かしてダンスの仕草をしてみたり、なにか、パフォーマンスがあるのだろうか。男性がカメラのセットをしていた。
アスファルトで道を作る、ビールを作って売る、飲んだ人のおしっこを消毒して?混ぜたレンガを作る、建て替えの決まったビルの壊しかけのときに展示場所を作る。家をリフォームして拠点にする。

原発事故のビデオカメラを指さす。広島市に全国から贈られて市で保管されている千羽鶴を借りて、山にする。色が細かくひしめいた過剰な鶴の巨大な山だ。

都会の表現だと思う。つねに他人が近くにいる。
暮らすために決まりを守ること意識せざるを得ない。

建物だって、入り口から入って壁で区切られた部屋のなかにいて台所仕事は動線の通りに動く。道路、公園、公共はみんなが使えるよう、決められた範囲の行動を自然と取る。

そういうことが、展示を見ててだんだん気が付いてくる。決まりの範囲内でしか動ける範囲はない、と思っていたことが顕になってくる。あれ、きめられたことと競り合ってもいいんだ、と目が開かれる。
他人の中でつまり社会の中で突き当たるもの、決まりを対象にしているように思えて来る。

ふだんは思いもしない、つかみ取る自由の可能性を感じることができる。

 

さて、先にYちゃんが会場を出て、次に私、最後にMちゃんがでて来た。美術館のショップで本気で選んだけど結局わたしは何も買わなかった。下りてきて、スタバを探す。私が先頭で探しながら歩く。私も他の二人もよく知らない。服のお店の人と案内の人に聞いて、やっと至る。            

外のテーブルにした。HくんからスタバラインギフトをMちゃんがもらって、みんなで御相伴にあずかる。Yちゃんの頼んだアメリカンコーヒーのトールサイズはすごく大きくて、アメリカを思い出す。

一通り今何をしているのかを話したのち、配偶者は元気かと聞き合い、同期生でまだ年賀状のやり取りのある人や展覧会の案内ハガキをくれる人について、今はどうだかはっきりわからないけど、かろうじて知っている消息を話した。消息は卒業後すぐにわからなくなったけど、すごくいい作品を作っていたM君のことを、どうしているんだろうね、と言い合ったりした。M君のスケッチブックには、ペン画がいくつも描かれていた。ヒエロニムス・ボスの手品師の人物をクローズアップしたような絵は覚えている。黒い線だけで描かれていて肩というか首の長い人物がえっと驚いている表情と周りの人が不気味とも厚顔な表情をしていた。鈴木了二さんの椅子を作る課題も驚いた。近くの鉄工所に依頼して、座面の高い不思議な雰囲気の椅子を作ったように思う。ちがったかな。そうだ、鈴木昭男さんの課題で楽器を作る、というのにも鉄工所に発注したのを出していた。天井からつるすわっかの逆タワーみたいなものだったと思う。あれと混同しているかな。

ビデオ課題の話も出てきた。Mちゃんが主役で制作されたビデオは、私は発表のとき教室で見たけど、制作には参加していない。どうしたのかな。全然そのビデオを作った覚えはない。いくつかのグループに分かれて違うのを作ったかもしれない。もう一つの学校の卒論書くので休みがちの期間があったから、そのときかも

だんだん思い出してきた。ビデオの課題ではM君は監督だった。決まったとたん、キャップをかぶりだして、本当に監督みたいだった。彼は中華料理屋でバイトをしていた。そして、みんなで飲んだ時に、ローリーアンダーソンの曲を聞いたことがないと言ったら、次の日、学校で、はい、とカセットテープ二つ渡された。ローリーアンダーソンのLPをダビングしてくれたのだ。カセットケースの表紙の紙に、細かくてきれいな字で曲名が書かれていた。びっくりしてお礼を居たら、聴いてくれればいからと、恥じらうような笑顔で言ってた、ように思う。よっぽど好きなアーチストだったんだな。ブライアン・イーノピーター・ガブリエルの名前も口に上ったように思う。

Yちゃんは、この前会ったときに再開すると言ってた漫画日記を持ってきて見せてくれた。文庫本サイズの文庫本風のノートに、一日一ページ描かれていた。しかも、会った日の4月29日から。その日あったことをさっと描かれている。線がきれいだ。癖がなくて素直な感じ。おもしろかった。ネットに載せないの、と聞いたら、日記だから公表しない、広く見られることになるから、とYちゃんは言った。

Mちゃんから3年前に画廊でやった夫君との二人展のカタログをもらった。これぞ作品。しっかり作ってあって、完成度が高く見ていて飽きない。儚い形の堅牢な立体だ。
学生時代友人の消息を話すと、MちゃんYちゃんによって少し補完される。あの時一緒の教室にいたりいなかったり、在籍していたひとたちそれぞれがあると思い出す。ひき比べると、私はこれまで何をやって来たのか、と思わないわけにはいかない。

ラインで、書き言葉だとニュアンスが伝わらない、絵文字やスタンプを使うけどねえ、という話になって、Mちゃんが、若い人達の間では、ピリオドを打たない文にする、と言った。ピリオドってバシッと切る感覚なの?と聞いたら、そうらしい、とMちゃん。アメリカ東部のMちゃんのお嬢さんの周りでは、ソフトな印象を与えるようピリオドを使わない、ずらずら文が続く。そういう慣習の範囲はもっと広いのだろうか。お嬢さんはMちゃんにもピリオドをつかわないそうだ。Mちゃんは、ラインをスクロールして見て、あ、ピリオドがあるのもあるわ、と笑った。
古文の原文は句点・読点がない。「もともと日本語には句読点がない。読むときに、読み手の呼吸で句点・読点をつける」とT先生が言っていた。小説の作者は自分の呼吸で句読点をつけるものだから、読者と少しちがってもそれは作者の呼吸ですから、書くときは好きにつけていいんですよ、とよく言っていた。

食べ終わり、地下道で道の反対にわたって、麻布EDGEに行く。1980年代に鈴木了二さんが設計した。やっと見た。建物の中に入らなくても階段を上がっていける。ゴダールの映画に出てくる海の突端か島にある階段の建築物に触発された、というか、そのままじゃないかという印象だ。薄い手すりがかっこいい。そうだな、ここにカメラが欲しいと思わせる。

そのあと、また道の反対にわたって、いくつか画廊の入っているビルに行ってみるが、やはり閉まっていた。ひとつは開いているとネットにあったのだが。ほとんどの画廊がガラス張りで外の通路から中を覗いたりした。中庭みたいなところのベンチに座って検索したりして、東銀座のギャラリィKに行くことにしてその途中、古いビルに寄り、刷毛専門店に入って、刷毛を買った。Mちゃんは2つ3つ買った。Mちゃんの作品と少し共通点がある。素材について質問していた。ギャラリィKでは、会期初日でパフォーマンスをしていた。ぐるっと見て、入り口でU君とちょっと話した。Mちゃんは二人展のカタログをU君に見せていた。

3人でドトールに入った。わりに空いている。サラリーマンが6人くらいで打ち合わせをしていたほかは、ひとりのお客だ。以前は、いつも混んでいた。あ、でも、銀座通りは思ったよりにぎわいがあった。

あの人、あの先生の消息を知ってる限り、出した。鬼籍に入った方もいた。知らなかった。Yちゃんは「夫ちゃん」はこうだよ、と、ときどき織り交ぜる。Yちゃんが、「夫ちゃん」まわりで動くことが多いのだろうと思う。いや、それどころじゃない、生活で奮闘していることがうかがわれた。

Mちゃんが、ライノセラスの学校に通ったことを言った。3Dプリンターを使いたいと思って受講した。集まった若い人達の話す英語がわからなくて、泣きそうだった。それでも、卒業制作で小さい作品を作った。夫君のⅯさんは、途中で投げ出すだろうと思っていたみたい、とのこと。
ふーん、たいへんだね。ところでライノセラスって何、と私は聞いた。3Dプリンターのこと。ああ、最初に聞いたっけ、結びつかなかった。と心のなかで思う。そして、なるほど、使えれば便利だよね。と言ってまったくの門外漢ぶりを発揮するわたくし。

5時過ぎに店外に出て別れた。YちゃんはJR方面へ、Mちゃんは夫君へのお土産を買いに松屋へ、私は地下鉄へ向かった。寄り道せずに帰った。

寝る前、Chim↑Pomはよかったな、と振り返る。もっと積極的にやりたいことを打ち出せる、暮らしで引っかかることをなくすよう、それをやりたいことと思っていいんだ、不可侵だと思ってたことが崩せる。芸術は精神を自由にする。と思いつくまま流れていく。クライミングは身体的に自由になっていくから好きだし、って、あれ、私はそんなに不自由なのか、私は自分から不自由にしているのかもしれない、に、行き着いた。