5月23日(月)Nおじさんの弔問

きのうは、午前牛モスバーガー。てりやきチキンバーガー。13時半に家に帰ると弔問客の車があった。T夫の中学の同級生だ。弔問に来ていただく方に電話で都合をきかれると、すべて12時から13時の間に来ていただくようお願いしている。T夫の昼休みの時間だ。昼休み以外は、農作業がある。

着替えて挨拶に行こうとしてたら、同級生の方はお帰りになった。Mのやついろんなことをぺらぺらしゃべっていて、私が家に帰ってきたから、じゃあ帰るかとなったと、あとでT夫が言った。
じゃあ、よろしく、とT夫は軽トラで畑に行った。お湯を沸かす。お茶の用意をする。

予定の14時少し前に軽自動車が敷地に入ってきた。Nおじさんたちだ。親戚のNおじさんは高齢で、娘さんの車に乗せてもらうしかなくて、娘さんは14時着でないと都合がつかないということで私が応対することになっていた。

Nおじさんと娘さんが車から降りた。どうもどうも、わざわざありがとうございます、などとあいさつしあった。Nおじさんは杖を持っていたが、それほど杖に頼らないで、歩いて玄関に入った。こんなものはいらないのですが、と杖を脇に置いて言った。そして、玄関に置いてある椅子の背もたれ部分に手をかけて、よいしょ、と上がり框に上がった。うちの玄関の高さは、たたきから60センチほどある。おじいさんが亡くなって、スモールステップの台は奥に入れてしまった。出しておけばよかった。娘さん、と言っても、私と同じくらいの年齢の方だが、があとにつづいた。
祭壇に案内したあと、台所でお茶を淹れて座敷に運ぶと、Nおじさんは奥の部屋の祭壇前で線香をあげてくれていて、暫く座っていた。座敷にきて座布団に座るとき、大変そうだった。

92歳で亡くなったと聞きました。私はこの11月で90歳になります。まあ、とてもそんなとは見えません。いえいえ元気な振りをしているだけです。朝起きてから午前中は歩けなくて、家の中をこう這って歩いています。午後になると、こんなふうに立てるのですが。あらまあ。
2月までは毎朝ラジオ体操をしていたんですけどね。新聞は毎日読んでますよ。この2年出かけなくなって、家でできることはしていました。
家族葬だったそうですね。ええコロナでそうさせていただきました。私のときも家族葬でと決めています。若い人たちに迷惑をかけないように、あとからも誰にも知らせないでといっています。会う人にもそういっているんですよ。娘さんをみると、顔を曇らせている。若い人は若い人で忙しいですから、迷惑をかけないようにね。

天気がいいし換気目的もあって、座敷の前の縁側の掃き出し窓をすべて開けている。Nおじさんは床の間を背にして、庭とその向こうの景色が見渡せる。

この辺は昔から変わりませんね。静かで気持ちがいい。こんないいところうらやましいですよ。どうですか、田舎暮らしにも慣れたでしょう。はい。思い出した、Nおじさん夫妻はお正月に会うといつも、もう慣れましたか、と私に聞いていた。夜も静かでしょうね。いえ、今は、蛙の声がすごいですよ。ああ、蛙がね。私は蛙の大合唱を頑張ってるなと思い、うるさいとは感じてないのだけど、謙遜で言った。
子供のころ、夏休みにここに来て遊びました。Kちゃんと年が同じで、一緒に遊んでくれました。私は横須賀に住んでいましてね、もうずっとここに来るのを楽しみにしていました。にこにこしてNおじさんは言う。K叔父さんも鬼籍に入って10年余りだ。
兄弟であと残っているのはⅯさんだけになりましたね。いえ、Ⅿさんもおじいさんが亡くなってから一週間後に亡くなりました。耳が遠いNおじさんに娘さんが同じことを伝える。亡くなったんだって。え、そう、亡くなったの。はあ、そうか。それから、Nさんは戒名を褒め、遺影はいつのときかを聞いた。

ここはほんとに静かで気持ちがいい、うれしくなってつい長居しましたが、そろそろ帰ります。

玄関を降りて外に出ると、Nおじさんは杖に寄りかかりながら奥の斜面を見上げて、ああ、子供のころはここを駆け上がったものですよ。上でいろいろ遊びました、と笑顔で言った。斜面には肩幅くらいの小径がジグザグについていて、上に上がると畑と周りに果樹の木々があり雑木林に続いている。

私は、またいらしてください、と言って車を送った。

Nおじさんが子供になって、半そでシャツと半ズボン姿で斜面の小径を駆け上がる映像が心に浮かんだ。仮想なのに胸を衝かれた。Nさんは整った容貌で姿も細身長身ですっきりしている。都会から来た目鼻の整った少年が、同じ年ごろの従妹と野を駆けずり回る。さぞ楽しいことだったろう。数えれば80年も前のことだ。楽しいこととして記憶していたことだろう。軍人の一人息子であるNおじさん。父君は戦死されたと聞いている。小学校の教諭になり校長で退職された。私が結婚したときは、校長先生だった。誰にも通知しないで家族葬って言っていた。葬儀に迷惑などかかるものか。故人を偲ぶことと悲しみを乗り越えるために葬儀はある。家族葬は仕方ないとしても、迷惑迷惑と気にしなければいいのにと思う。でも、言えない。

夕方、ロッキーに行ってボルダリング1時間半くらいした。

そしで、あとから気が付いたけど、もうNおじさんと会うことはないかもしれない。お盆の墓参りで墓地で会ったりしたときは、自分で車を運転して来ていた。スーパーでも見かけたことがあった。車は1年半前に手放したということだし、コロナ対策としてそれほど外出はしないだろう。