きのうは、ゲハルト・リヒター展を観た。東京国立近代美術館。
リヒタ-の作品には様々な形式がある。不連続な形式から、通底する志向を読み取ろうとすることは、大まか過ぎて、つまらないかもしれない。個々の作品に寄り添って汲み取っていくことが、精緻な理解につながる。それでも、今回、カタログを読んで、志向のアウトラインがぼんやりわかってきたので、その覚書を記す。
何が描かれているのか。フォト・ペインティングに、抽象絵画に、ぼやけた具象画に、押し付けてずらした偶然の色の操作に、カラーチャートに。
イデオロギー、ロマン(物語)、比喩はどれも適当とは思えない。何かの描写、あるイメージ、ある種のメッセージ。
「しかしまた、それが絵(イメージ)を作りだすのですよ。眼差しを投げかけるたびに、現実なのか見せかけなのかを識別し、そこに意味を与えていくほかないのです。」カタログP225
何についてか、どれも当てはまらない、直接的に名付け得ないということは、無であるし、どれもどこかに含まれているようにも思う。(こんなおおざっぱでいいのだろうか)何についてかではなく、見ようとして考えること、つまり、人が物を見て認識する枠組を追求してきた。
リヒターは1932年に ドイツ東部のドレスデンに生まれた。親族に戦争の犠牲者と加害者がいる。ベルリンの壁が築かれる数か月前に、妻とデュッセルドルフ(西ドイツ)に移住した。政治に意識的であろうとした。戦後ドイツのアウシュビッツへの「儀式的追悼」に抗う。
写真にペイント。スキージで上乗せして色の横断。その快感。違う視点。
あるイメージをいったん遮断して、違う角度から見直すことが繰り返される。遮断されたイメージと相まって、驚きと見ることの快感が生まれる。