7月22日(金)「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」東京都現代美術館

きのうは、東京現代美術館で、「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」MOT Annual2022を観た。

5人の作家による展示だ。

高川和也の作品《そのリズムに乗せて》は、口では言えないうちなる言葉をラップに乗せてパフォーマンすることで「何か起きるのかを探る約50分の映像」。

工藤春香作品《あなたの見ている風景を私は見ることはできない。私の見ている風景をあなたは見ることはできない。》は、相模湖がキーワードだ。日本初の人造湖として日中戦争の際に京浜工業地帯の軍需産業へ水と電力不足を補うために作られた、についての作品。1964年東京オリンピックの時に、カヌー競技場となる。同年「津久井やまゆり園」が開園した、についての作品。旧優生保護法の年表の展示。妊娠と堕胎から女性を守るという思想のもと展開された産児調節運動、のち優生保護法法案を提出した加藤シズエについての作品。1974年モナ・リザ展の際、混雑を理由に介助を必要とする障害者・高齢者、乳幼児連れの入場が予め断られていた。それに対する抗議で、モナ・リザの入っているガラスケースにスプレーをかけた女性についての作品。2016年事件のあった津久井やまゆり園の被害者で、現在はかい助者とともにひとり暮らしをしている尾野一矢さんの部屋の一部再現。など。ーーいちばん展覧会名に合った作品群だ。展示された物は、新聞小説における挿し絵の位置のように思えた。「ーーを現しているのです」という言葉と一緒に鑑賞する。美術作品に向けられる「これは何を現しているのですか」という質問の答えとして、理解が得られやすいだろう。

大久保かおりの作品《Not Title Yet》は、過去のテキストと未来のテキストに関連するオブジェ。テキストは追わなかった。意味のあるだろうオブジェが置いてある。

良知暁の作品は《シボレート/schibboleth》。合言葉という単語の意味だが、旧約聖書士師記にあるギレアド人とエフライム人の抗争で、何人か識別するためにこれを発音させたのが語源だそうだ。ギレアド人は、発音の違いからエフライム人と識別すれば殺害した。合言葉は選別と排除に使われた。アメリカ合衆国で、19世紀、リテラシーテストが行われた。「中立性や正当性を装いながら、実際はアフリカ系住民の有権者登録を阻止する普遍的な方法として広く利用された。」日本でも、関東大震災の時、デマを信じた人たちによって朝鮮人虐殺が起こった。発音の差異で朝鮮人かどうか識別した。「十五円五十銭」はその一つ。ということを、後で冊子を読んで知る。冊子は会場で自由に持っていくことができる。そういう分断や識別を想起させる物として、わざと宙ぶらりんな印象にさせたらしい展示物が、広い会場にぽつりぽつりおいてあった。

映像以外の作品は、言葉が主であるので、言葉だけでもいいんじゃないかと思った。映像作品は、誠実に自分と向き合っていて、そうせざるを得ないのっぴきならなさを、勝手に、痛々く感じてしまった。

美術はイメージだからいかようにも鑑賞してくださいその全てを作家は責任を取ります、という態度に親しんできた。社会的なテーマと向き合う作品を、私はあまり観ないのだけど、今回は、言葉で社会的テーマの再考を促し、それを私は言葉の側で捉えた。