8月15日(月)お盆の墓参 簡略化の過程

きのうは、朝から小雨が降る。

朝5時半ころ、白ナス一つを作業場からもってきて、刻んで、ボールに作ってあった供物に混ぜた。朝食のおつゆも作った。14日の朝は、供物と同じ具材の醤油味のおつゆをいただく。(家族の人数の多かったころ、一年中朝食には味噌汁で、8月14日だけ例外だった。)同じのを食べて供物を上げた先に思いをいたすためらしい。ゆえにおつゆの具材は、カボチャ、白ナス、ニンジン、ピーマンとついでにしめじだ。供物に入れたきゅうりは無くなったので割愛した。

6時半を過ぎてもT夫が畑から帰ってこない。お墓参りは6時出発で歩いて行くことになっている。塚、大師、お墓、馬頭観音、風の神様?、お寺の大師、地蔵、お坊さんのお墓(卵型だ。無縫塔というらしい)とあと道祖神らしい石塔を一時間ほどでめぐる。各所では、紙皿に供物をのせて、線香を供える。当家のお墓では花も供える。

7時前にT夫が帰ってきた。朝食を食べていくことにする。しかも雨が降っていたので車にした。そして、運転していたT夫が、曲がるべきところで無意識に毎日通るのとおなじ真直ぐに行ったので、逆から回ることになった。
お寺で二軒先のTさんの家族と一緒になった。奥さんのTさんが真剣な顔で私に近づいてきた。なんだ、こんなところにいたの。実家に行ってると思ってた。いえ、実家では新盆をやらないというから。行きなよ、そんなやらないなんてないよ。そうね、墓参りは行こうとは思っていたけど。うん、それがいい。
果たしてT夫は一緒に行くだろうか。私が当然のように義父にしていることを、T夫はT夫に取っての義父にするだろうか。というか、ここまでは実際できないけど、かたちだけでもする真似をするだろうか。

最後になった塚をT夫は忘れて通り過ぎ、ま、いっかと省略した。供物を載せるのは、今は紙皿だが、以前は義父が竹と藁で作っていた。竹を切って、1.5センチくらいの幅、70センチくらいの長さの棒を何本も作る。二本を十字に交差させて、藁を十字部分に廻らせるように編み一辺10センチほどの正方形を作る。正方形から対角線の延長上に伸びた4本の竹棒を、正方形のところで直角に曲げ、机のようにする。それを地面にさしてお供えを置いたのだった。

こうやって、ちゃんとやっていたひとが居なくなり、重しとなるひとや見せたいひとがいなくなり、自分次第となると万事簡略化して、だんだん廃れてくる。

 8時ころ帰ってきて小倉餡を作る。ゴーヤーの佃煮を作る。モロヘイヤのおひたしを作る。昼食を準備していたら、T夫の兄弟がもうすぐ来る、とT夫が配達から帰ってきて言う。聞いてないよー。氷が少ない。コーン茶を作る。彼らは、12時半ころきて一時間くらい談笑して墓参に行った。あれ、お昼ださなくてよかったかしら。T夫から特に言及がなかったからいいか。