きのうは、午前中モスバーガー。コーヒー紅茶チケットが無くなったので、買おうとした。この金曜日24日から値上げするんですよ、とハンバーガーを作っていた店員さんが教えてくれた。
じゃあ、3冊買います。モスカードで買った。
余計なことを言って、かえってすみません、店員さんがすまなそうに言った。
いえいえ、貴重な情報をありがとうございます。
注文が終わり、席に座って、モスカードにあといくら入っているのか、レシートを見てたら、テーブルに紅茶が運ばれてきた。
ほんとに、かえってすみません、とまた店員さんに言われてしまった。
レシートを見ていたのを、使ったお金を気にしていると思われたのかも、と思うと恥ずかしい。感謝のみだ。
午後、「服のはなし 着たり、縫ったり、考えたり」行司千絵著、岩波書店、が届いた。すぐに読んだ。作者手作りの服の写真が、たくさん載っている。大胆な色と柄が楽しい。「裁縫道具は今どこに?」の章を読んで、どこかにしまったはずの旅行用裁縫セットをあわてて探した。出てきた。その場のドレスコードをかぎ取って、「自らお約束の服を着てしまう」というのは、その通りだ。
わたしは、服を着る楽しみをないがしろにしてきた気がする。自分を表現するような、自分が着たい服を探してこなかった。素敵な服があったって、着ていくところがない。でも、普段着を素敵にすればいいんだ。毎日洗濯して、毎日服をたたんでいる。その服がうきうきする服だったら、楽しいだろう。保守的な人からするとヘンな服になってしまわないかという懸念もあった。それを凌駕するほど素敵であればいいんだ。
学生のときセーターを編んだ。妊娠してマタニティワンピースを縫った。一人目の赤んぼのブルマをいくつか作った。私が手作りした服はそんなものだ。
今から服を作るのは一段ハードルが高い。時間があるだろうか。
テレビ番組「ソーイング ビー」を見るのを楽しみにしていた。出場者が身に着けている服が素敵だし、課題に対して、個性と技術と正確さ速さが評価されるのもいい。「あなたらしいわ」とエズメが褒める。
この本は、一歩進んで、服の楽しみを搔き立たててくれた。