きのうは、誰かのスマホのアラームが鳴り、目を覚ました。それからなかなか眠れない、外が明るくなってきた。誰かがトイレに立つ物音がした。体や顔に力が入っているのに気が付いた。こめかみをマッサージしたあと、力を抜くことを意識したら寝たらしい。起床の5時になったらしく、皆さんが起きる音で私も起きた。アラームは、一昨日1時半にセットしたままだったと言うのを聞いた。
玄関を入ったところに乾燥室がある。アウターと手袋は乾いていたが、靴だけ内側の奥がぬれていた。部屋に持ってきて新聞紙を丸めて突っ込み、ヒーターの前で温風を当てたら乾いた。朝ごはんは持ってきたものを部屋で食べた。
6時過ぎに出発した。天気予報は小雨と強風だ。谷川岳ロープウェイは7時から営業する。谷川岳ベースプラザの駐車場で車を降りて荷物を下ろしていたら、音楽が鳴り始めた。7時になって、動き出したらしい。
ロープウェイに乗って天神平駅に降りる。ぽつぽつと小雨が降っている。あたりは白いガスで視界は20mくらいか。私たちとスタッフ以外誰もいない。山の家だって、悪天候だからキャンセルがあったんだって、と私たちの誰かが言っていた。宿泊客は私たちと男性一人しかいなかった。夕食時に食堂で彼と一緒になった。西黒尾根から登って、肩の小屋の親父さんに会いにいくと話した。このあたりに詳しい登山上級者のようだった。
リフトに乗る前に、スリングを忘れた、と言い出した人が居た。スリングで簡易ハーネスを作る。山頂近くの急な斜面は、ことによったらロープを出して、ロープにプルージックコードを巻き付けて環付きカラビナでハーネスと連結するというやり方で行く予定だ。
結局、ザックのポケットにあった。よかった。リフトに乗る。冷たい風に吹かれて寒い。歩くと暖かくなるはずだ。
リフトの高い方の駅、天神峠駅を降りて歩き出す。残雪のところが3か所あった。風もある。周りは白くて視界は10mくらいになったか。熊穴沢避難小屋でも休息は5分ぐらいにして、すぐ歩く。肩の小屋で長く休む予定だ。それに、だんだん風が強くなるから、先を急ぐ。去年はほとんど雪の上を歩いたそうだ。今年は雪が解けて、夏道だ。天狗の留まり場を過ぎたあたりで、アイゼンをつけて雪渓に出た。風は強い。視界も10mくらいで変わらず。すこし雨もふっていたか。ここで足を踏み外して滑落したら死ぬと思い、一歩一歩緊張して歩いた。リーダーは雪上訓練のつもりだろうか。疲れたときに出る「くっ」という声が漏れた。
「大丈夫ですか」と聞かれ、
「大丈夫です」と答えるが、私だけ息が荒い。あとからわかったが、天狗のザンゲ岩を過ぎたあたりで夏道に戻った。先を行くと、残雪の地帯になった。風がいっそう強まり、雪を踏みしめピッケルで雪面を刺していても、片足だけに加重しているとき体がふらつく。白いガスの斜め上に肩の小屋の風見鶏が見えた。疲れて雑になりそうになるのを気持ちでカバーして、前を歩く人の足跡を踏みしめて登る。小屋に着いた。
小屋では、ストーブがついていた。ほの暖かくて休まる。リーダーが先を偵察してきて、ここで撤退することを決めた。暖かいココアを頼んで、飲んだ。とてもおいしい。手ぬぐいも買った。一人の男性が入ってきた。小屋の小父さんに水のペットボトルを渡して、山の状態を話している。親しいらしい。同宿だった人とわかり、私たちとも言葉を交わした。言ってたとおり、西黒尾根を登ってトマの耳から来たそうだ。
「強風で死にそうでしたよ」と笑いながら言う。そんなに大変そうに思っていないようなニュアンスだ。すごい。
私の着替えと500ccペットボトル一本をリーダーに持ってもらうことになった。傍目にもヨレているのがわかるらしい。私たちは25分くらい休んで出発した。小屋の外でアイゼンをつけて歩き出すと、風でよろけた。体重の軽い女性が転んだ。さっきより強くなっている。腰をかがめる防風姿勢というのを教わる。リーダーの足跡をなぞってなんとか下る。
雪が無くなり、偵察してこの先も雪がないとわかり、アイゼンを外す。ピッケルも持ってもらい、トレッキングポールをお借りする。
1時間ほど歩く。急にガスが切れた。周りの山容と谷川岳の山頂も見えた。近くの山は木々がくっきりとわかる。一本一本の形を意識して見てみたり、全体の山容の重なりを見たり、裾を追って人里は街につながる方を見たりする。人ではなくて、自然の風景に自分を反射させている。自己像は、人からの反射が要素になると思っている。奥深い自然の風景の中では、自分が極小の存在になったり、空に向けて体が広がり隣の山に手が届くような気持になったりする。この経験がしたくて山に登る。
あたりが見えたのは7分間くらいだった。危険なところを無事乗り越えたご褒美のように思えた。そう言うと、皆が、ご褒美だね、ほんとだね、と口にする。集合写真を撮った。
熊穴沢避難小屋で、バーナーでお湯を沸かしてスープをいただく。2つ3つ雪渓を横断し、天神峠からリフトでおりる。途中、水芭蕉がいくつか咲いている地点があった。行きは視界が悪くて見えなかった。
天神平駅からロープウエイに乗り、谷川岳ベースプラザに帰ってきた。靴を履き替えて、アウタージャケットを脱ぐ。同宿の彼が、もう姿を現した。小屋で1,2時間小父さんと話してから来たそうだ。早い。
「でも、雪は小屋の前だけだし」とにこやかに言った。1時間くらいでリフトの天神峠駅まで来た計算になる。通常のコースタイムだって、1時間50分かかる。こういう人もいるんだ。
車に乗る。体が冷たい。ネックウォーマーが初めて役に立つ。一番下に着たドライレイヤー上下も威力を発揮した。予定より時間が遅れたので、温泉は寄らずに帰途についた。
悪天候で行動すると、強風の警戒するレベルが刷新される。こんなところで死んでたまるか、と思う経験はなかなかできない。連れてきてくれたリーダーやメンバーの皆さんに深く感謝する。
・持ってくればよかったもの
防水のキャップ――ヘルメットと目出帽でいいと思ったけど、ずっとヘルメットをかぶっているわけではなかった
軽いトレッキングポール――お借りした。ヨレて腕の力が必要だった
・使わなかったもの
中綿のジャケット(防寒用だから省けないけど)
目出帽
ネックウォーマー(車内で使ったけど)
カイロ(遭難時に必要だが)
行動食――山行に携帯した量はちょうどよかった。車内に残したお菓子類がたくさんあった。買いすぎた
・良かったこと
スタッフバッグではなく、大きめのビニール袋にした。中身がわかるし、防水になるし、スタッフバッグより軽い。ザックはカバーもなく、防水スプレーをしていても濡れたが、中身はビニール袋のおかげで濡れなかった。