1月3日(火)青葉の岩場

きのうは、朝早く車が家に来てもらいピックアップされて、青葉の岩場に行く。Mさん、Iさん、Mさん。MさんIさんのコンビの気の置けない会話がたのしい。それぞれいいところを引き出し合っているとひそかに思っている。青葉は2年くらい前に連れて行ってもらったことがある。ミジカシイルートで、しかもルートの最後の乗越しができなくて、あまり登れなかった。今回は、正月2日に遠出できて、楽しい人たちだ。登るというより自然を楽しむのがメインのつもりで参加した。
駐車場から山道を登るアプローチは、30分もなかったろうか、私にとっては核心だった。
広場では、2パーティがすでにいた。私たちは奥のエリアで過ごした。ときおりほかのパーティが来て登ってまた移動して行った。
木々のあいだから海が見える。晴れて風がさほど吹いていない。でも、岩壁の角からときおり北風が吹き込んできて、ビレイしているとき寒いこともあった。

青葉は砂岩で、どこでも足を置くことができる、のに、それを使えない。5.9がやっとだ。5.10aをトップロープで、テンションを入れて登った。やっぱりもっと外岩に来て足を置くのに慣れないといけないと思った。かかとを落として、と教えてもらった。

昼食は、うどんとお肉をふるまってもらった。自然の中でおいしいものをふるまってもらい、楽しくいただくのは、たいへんありがたく気持ちがいい。これが愉快ということなんだろうな。私は、ココアを用意した。

昼食後は移動して、アプローチを登ってきてすぐのエリアに移動した。日が傾いて日陰になってきていた。ゴリラをトップロープ。MさんⅠさんが難しいのをトライした。成果があったようだ。15時半ころ撤収した。

渋滞区間を避けて高速道路を途中で降り、下道で帰る。普段混むところもそうでもなく、順調だった。
本当に楽しかった。参加させてもらって、感謝します。

1月2日(月)初日の出、料理、掃除、コジュケイ、カニ

きのうは、6時半ころ起きて、朝食の支度をしながら、日の出を観ようと外に出た。道路に出ると木々のむこうに日が昇る。最初は雲がうすく赤くなっていて、木々の地平も黄色だった。寒くてすぐ家に入る。三回目に出たとき、雲がバラ色に映えて木々の地平も赤から黄いろになっていたが、まだ光は射さなかった。モルゲンロートだね、と独り言。次は雲がもっと広い範囲でバラ色で、日が昇っているところだった。写真に撮った。日に向かって抱負を一言いう。

午前中は、紅白なますを作りセレベスを煮る。浴室と台所の窓の桟を掃除する。午後、外岩の用意をする。昼寝をはじめたT夫を起こさないよう、音をたてないように気をつかう。そっとやるからゆっくりになる。
外から勝手口に行こうとしたら、庇の下に鳥が落ちていた。鳩より大きい茶色で頭あたりに灰色と白が見える。うわ、と思って、戻って目が覚めたけどまだ寝そべっているT夫に訴えて来てもらった。T夫はコジュケイだよ、と言い、古新聞と鋤を持ってきた。古新聞で鳥を包み裏の林に持って行った。埋めるのだ。

帰ってきた T夫は、新聞越しに持ったら、まだ暖かかった、と言った。何で死んだんだろう、鳥インフルエンザかな、と言うと、寿命とか寒さもあるよ、コジュケイはよく裏の木に留まって鳴いていたじゃないか、とT夫。鳥の声がしていたのは思い当たるが、何が何とは思って聞いていなかった。それにしても庇の下にいたとはどういうことだ。勝手口の横に柚子を10個くらい並べていたから、最後に食べに来たのだろうか。

夕食のメインは解凍したカニ。暮れにT夫は、カニ食べ放題のミステリーツアーに参加した。お替り一回は、お皿にカニ足3本だけ載せてもらえる。しかもこれくらいの細さ、と幅1センチくらいの足を指した。ほかの人はだれもお替りしないの。俺だけ何度もお替りした、と。カニに心残りがあったからか、T夫は冷凍の大きいパックを買ってきていた。

 

1月1日(日)掃除、料理、ボルダリング

きのうは午前中、浴室を掃除しながら、きんとんと黒豆煮を作る。昼から16時くらいまでロッキーでボルダリング。私もだが、大みそかというのに、知り合いの方が数人いた。帰って天ぷらとお蕎麦を用意して、無事に暮れていく。クラシックコンサートの余韻で、夜はクラシックのテレビ番組やyoutubeを見て、紅白は見なかった。

 

12月31日(土)ロックランズに行った

きのうは、午前中、田つくりを作りながら掃除する。12時から16時ころまでM さんとロックランズで登った。道は混んでいなかった。薄かぶり壁の5.11cをレッドポイントできた。帰りにお正月の食料を買う。帰ったら夕食作って、他の掃除はできなかった。

12月30日(金)ウクライナ国立歌劇場「第九」東京オペラシティにて

きのうは午前中早めに支度をして、初台駅に11時前につく。T夫と東京オペラシティ コンサートホールでのウクライナ国立歌劇場の第九を聴くためだ。オーケストラコンサートは、うーんと昔に行ってからの二回目だ。
オペラシティの地下のイタリアンレストランが11時開店で、店の入り口に8人くらい並んでいる。私たちも並ぶ。早めに昼食を取って、12時15分の開場にあわせて入るつもり。13時開演。パスタと飲み物のセットのパスタがモチモチしておいしい。食べ終えて、まだ早い。時間調整とお茶を飲みにイタリアントマトに入る。私はスコーンとロイヤルミルクティー。T夫はシュークリームとコーヒー。レストランでもそうだったけど、入ったとき店内は混んでなかったがすぐ満席になる。みんな同じく第九を観るようだ。中には着物姿の女性もいた。

会場に入る。正面にパイプオルガンがそびえる。視線を上に移していくと、前方壁の上の方が三角になっている。後方の扉の壁と側面と客席の四角とで四角錐のようで、四角錐の上部をナイフで斜めに切り落としたような三角形の天井だ。天井の三角と正面壁の三角は頂点が重なっている。壁には水平の板が狭い間隔で施されている。

私たちは前後としては真ん中くらいで正面に向かっては右の席だった。

オーケストラは向かって右(上手)がチェロやコントラバス。左(下手)がバイオリン。真ん中あたりが木管金管楽器。バイオリンの後ろが打楽器。オーケストラの後ろに合唱の人が二重に並び、人の中央正面に男女2人ずつ4人のソリストが立つ。正面上方パイプオルガンの階に人が一列並ぶ。日本人と思われる男性女性が数人混じっていた。

一曲目の「エグモント」が始まると、驚いた。チェロやコントラバスから始まるのだが?空気が震えるのを体が感じた。間近でギターを聴いたのと同じ。周波数かなあ。耳首肩胸のあたりが微細に震えるものを感じた。心地いい。情動的な曲だ。

「第九」だ。チェロやコントラバスは体に響く音、バイオリンは人間の営みの音、木簡金管は御使いたちの音のように感じた。実は途中で眠くなった。眠気を破る鋭い打楽器。切れのいい動きの指揮者。ソプラノが素晴らしかった。

楽器と合唱の総合的な響きが最高潮に達すると、もう個人では受け取れきれない。圧倒された。歓喜とは私個人ではなく人と共有するものだ、と思った。個人だとバイパスがかかって気のせいだったと無かったことになるやもしれない。人と歓喜をお互い分かち合えば、人の中に歓喜を認め自分の歓喜を認めることになる。人と自分の歓喜はより合わさって、もっと大きな歓喜、どうしても高みに向かう上質の快感に満たされる。

ウクライナ国立歌劇場は旧キエフ・オペラだ。同劇場による歓喜の歌の演奏。ウクライナの常に生命の危険におびやかされる状況も思い起こされる。気品というより戦闘と隣り合わせの中で芸術に携わる力強さのようなものを感じた。歓喜を作り出すのだ。

演奏が終わって、拍手喝さいのとき、T夫はすぐ立ち上がって拍手した。最前列か2番目くらいの席の人が二人分くらいの大きさのウクライナの国旗をひろげて上下に細かく振っていた。それを見て、小旗を用意してくればよかったと思った。ソリストたちは国旗を見て、胸に片手をあてて感謝の仕草をした。私はソリストたちが2度目に出てきたときに立ち上がって拍手した。

劇場の外に出て、駅に行くかと思ったら、エクセルシオールにT夫が寄ろうと言って、入った。私はホットの紅茶、T夫はホイップクリームの乗ったホットの飲み物とハムサンド。一息付けてよかった。よかったねえ圧倒されたねえと私は言った。T夫も感動していたし、ウクライナの戦況を話し合うyoutubeから引用したみたいなことを何か言った。

 

12月29日(木)台所の収納

きのうは、台所の収納の掃除。システムキッチンというのか、シンクとガス台についている引き出しや上の扉のなかに入っている乾物や粉類や調味料、ふきんや大きな食器や鍋フライパンや包丁カトラリーやタッパ類や冷水ポットなどの季節物を出して収納内部を拭いて、下に新しい紙などを敷いて、また収納する。これだけのことだけど時間がかかる。暮れの日程を思うと絶対この日中に終わらせなくては、と思い、同じ作業にうんざりして動きが遅くなったけど、やめないでほぼ終わらせた。

16時ごろ、明日のお出かけ服を決める。クラシックコンサートって黒でしょ、服を持ってないなあ、と前にY子に言ったら、暮れでしょ、何でもいいのよ。わたしなんかジーンズで行っちゃう。新年のコンサートはちょっとだめだけどね、と言った。Y子はクラシックコンサートにときどき行っている。なるほどそういうものか、と、ジーンズじゃなくて、ブラウスとスカートとジャケットにした。タンスの隅から引っ張り出した。アクセサリーがない。買わなくなって久しい。ボディケアのためファイテンのネックレスが欲しいと思うくらい。