12月30日(金)ウクライナ国立歌劇場「第九」東京オペラシティにて

きのうは午前中早めに支度をして、初台駅に11時前につく。T夫と東京オペラシティ コンサートホールでのウクライナ国立歌劇場の第九を聴くためだ。オーケストラコンサートは、うーんと昔に行ってからの二回目だ。
オペラシティの地下のイタリアンレストランが11時開店で、店の入り口に8人くらい並んでいる。私たちも並ぶ。早めに昼食を取って、12時15分の開場にあわせて入るつもり。13時開演。パスタと飲み物のセットのパスタがモチモチしておいしい。食べ終えて、まだ早い。時間調整とお茶を飲みにイタリアントマトに入る。私はスコーンとロイヤルミルクティー。T夫はシュークリームとコーヒー。レストランでもそうだったけど、入ったとき店内は混んでなかったがすぐ満席になる。みんな同じく第九を観るようだ。中には着物姿の女性もいた。

会場に入る。正面にパイプオルガンがそびえる。視線を上に移していくと、前方壁の上の方が三角になっている。後方の扉の壁と側面と客席の四角とで四角錐のようで、四角錐の上部をナイフで斜めに切り落としたような三角形の天井だ。天井の三角と正面壁の三角は頂点が重なっている。壁には水平の板が狭い間隔で施されている。

私たちは前後としては真ん中くらいで正面に向かっては右の席だった。

オーケストラは向かって右(上手)がチェロやコントラバス。左(下手)がバイオリン。真ん中あたりが木管金管楽器。バイオリンの後ろが打楽器。オーケストラの後ろに合唱の人が二重に並び、人の中央正面に男女2人ずつ4人のソリストが立つ。正面上方パイプオルガンの階に人が一列並ぶ。日本人と思われる男性女性が数人混じっていた。

一曲目の「エグモント」が始まると、驚いた。チェロやコントラバスから始まるのだが?空気が震えるのを体が感じた。間近でギターを聴いたのと同じ。周波数かなあ。耳首肩胸のあたりが微細に震えるものを感じた。心地いい。情動的な曲だ。

「第九」だ。チェロやコントラバスは体に響く音、バイオリンは人間の営みの音、木簡金管は御使いたちの音のように感じた。実は途中で眠くなった。眠気を破る鋭い打楽器。切れのいい動きの指揮者。ソプラノが素晴らしかった。

楽器と合唱の総合的な響きが最高潮に達すると、もう個人では受け取れきれない。圧倒された。歓喜とは私個人ではなく人と共有するものだ、と思った。個人だとバイパスがかかって気のせいだったと無かったことになるやもしれない。人と歓喜をお互い分かち合えば、人の中に歓喜を認め自分の歓喜を認めることになる。人と自分の歓喜はより合わさって、もっと大きな歓喜、どうしても高みに向かう上質の快感に満たされる。

ウクライナ国立歌劇場は旧キエフ・オペラだ。同劇場による歓喜の歌の演奏。ウクライナの常に生命の危険におびやかされる状況も思い起こされる。気品というより戦闘と隣り合わせの中で芸術に携わる力強さのようなものを感じた。歓喜を作り出すのだ。

演奏が終わって、拍手喝さいのとき、T夫はすぐ立ち上がって拍手した。最前列か2番目くらいの席の人が二人分くらいの大きさのウクライナの国旗をひろげて上下に細かく振っていた。それを見て、小旗を用意してくればよかったと思った。ソリストたちは国旗を見て、胸に片手をあてて感謝の仕草をした。私はソリストたちが2度目に出てきたときに立ち上がって拍手した。

劇場の外に出て、駅に行くかと思ったら、エクセルシオールにT夫が寄ろうと言って、入った。私はホットの紅茶、T夫はホイップクリームの乗ったホットの飲み物とハムサンド。一息付けてよかった。よかったねえ圧倒されたねえと私は言った。T夫も感動していたし、ウクライナの戦況を話し合うyoutubeから引用したみたいなことを何か言った。