2月25日(金)偲ぶよすが

きのうは、午前中、ロシアがウクライナへ侵攻したとツイッターで知る。とうとう現実に起こってしまった。関連の情報をざっと見ようとするが、まだ、それほど載っていない。
出張所で証明書類を取ったあと、歯医者へ行く。

亡父を簡単に振り返った文を手直しする。葬儀の時に、学歴と住んだところと勤めた会社を記したものを配った。葬儀は、もともと参列しそうな人はみな高齢で加えてコロナということで、妹一家と私の一家だけで行った。もちろん会食なし。故人のことを話したり偲ぶ場がない。なにかあったほうがいいのではないか、とT夫が言ってくれて、急遽用意した。きのうは、そこに私が見聞したことをつけ加えた。でも、不明なこともある。
生前、と言っても80歳を超えたあたりの父から、昔話を聞かされた。ほとんど子供時代と学生時代と会社に入りたての頃のエピソードだったのだが、その時は承認欲求にちかいものだと思っていた。今、父のことを振りかえってみると、私が聞きたいことを聞いていなかったなあ、と思う。人生の節目で父は何歳だったか、と思う。父が主体で父の話したいことを聞くより、私が正確なところを質問したりして補って聞いていれば、と思う。そしてそれをまとめたりしていれば、――いや、そういうふうには望んでいなかったと思うが。
コロナで老人ホーム訪問がなかなかできなくなって、会えても一回15分間でゆっくり話をすることができなくなり、父も認知症が進んで、だんだん話す事柄がおぼつかなくいなっていった。
頭がまだしっかりいていたときは、頑固で、こちらが消耗してしまった。うまくいかないものだ。