1月9日(日)父を訪問

きのうは、父の面会に行く。面会という言葉はおかしい、と介護の専門の方がラジオで話していたのを思い出した。面会だと、老人ホームが主で家族が従みたいというか、老人ホームはお預かりしているだけなんです、入居者は家族のものなのです、というようなことだったと思う。
コロナによって、父がお世話になっている施設では、面会日と時間を決められて、その範囲で家族が予約するシステムになっている。まさに面会なのだけど、父を訪問するイメージだ。

父のいる施設は、緊急事態宣言が出ていない期間に家族と会う機会を設けてくれている。感謝している。 

家を早く出て、新春セールの買い物をする。老人ホーム最寄の駅前のそば屋で昼食をとる。前回面会に来たときお店が休憩時間で入れなかったから、今回は絶対に行くと思っていた。あと何回ここに来られるかわからない。海鮮3種丼とせいろのAランチを食べた。満足だ。駅で妹のK子と待ち合わせ、施設に行く。        
父は思ったほど弱っていなかった。
車椅子で連れてきてもらった父は、二人とも今日は来てくれてありがとう。と言った。歯が悪いのか、もごもごしていて明瞭ではない。こちらから、お元気ですか? 体の調子はどう? 胸痛くない? 痛いところはない?と言い方を変え自分としては大きな声で話しかけても、え、聞こえない、もっと大きな声で言ってくれ、と父はいい、一方通行でなかなか通じない。私は長椅子に座っていたのだけど、一歩斜め前に踏み出してしゃがみ、透明衝立のはずれたところからマスクをずらし、一語ずつ「げ、ん、き、で、す、か」大きな声で言ったけど、聞こえないと言われた。
父がもごもご言い出した。一文にすると、
田島会の集まりに、K子もT子も幹事をやってくれるのを承知してくれたんだよな、ということ。うん、二人で相槌を打つ。父がなにか話してくれるだけでいいや。田島会は田島家に生まれた人だけが入れる。うん。新宅の○○フジオ?ショウジ?(なんて言ったのかよくわからなかった)はいい、入れない。本家はユウイチともぐもぐ…。名前を言ったようだったけど、叔父叔母のじゃなくて、よくわからなかった。新宅って本家の後ろの家だよ、隣のK子に低い声で説明する。
おじいさんの兄弟は? え、もう少し大きな声で言ってくれ。兄弟はどうするのですか。叔父叔母も高齢だということを言おうとして、その前段階から、通じない。

K子が、おじいさんが生まれたころの新聞の広告欄のコピーを持ってきた、と言って父に渡した。B4の一枚。顔を上下させ、上下しながら視線をだんだん下にずらしていく。熱心に読んでいるかのような様子だった。読み終わるのを待つ。字が読めるのかな。今の父の目は黒目が黒くて大きい。父は昔から黒目の色が薄かった。今は、黒目がちのつぶらな瞳だ。あまり見えてないのだろうと思う。白内障の手術をしようかどうしようか考えているんだ、と言っていたのは、10年くらい前だ。そのころは、しなさいよ、とずいぶん時間をかけて勧めたが、んん、まあだんだんにな、考えてみるよ、といつも最後に言われ、徒労感が残った。
父は見ながら一枚紙を人差し指と親指で紙の端をこすって、ページをめくる動作をしてた。一枚なんだ、ごめんね、K子が言う。きこえないらしく、めくろうとするのをやめない。下の方まで視線の上下運動がきたところで、K子が紙を受け取って、前の机に置いた。
じゃあ、田島家は本家の人だね、と得意な話題に振ると、それは分かったようだ。父は、かかるお金はもごもごと不明瞭に言いかけたところで、時間です。と介護の人が来た。あもう、おしまい?早いな、父が言う。コロナが流行ってますから、病気が流行ってますから、病気にならないようにね。介護の女性が車いすの父にかぶさるようにして、父の耳元で大きな声で言った。ああ、このくらいしないと聞こえないんだ。そして、車いすを押されて運ばれていった。父は、任せるような様子で、しかし一瞬の表情が、やってもらうことに頼るようにも見えた。威張りンボだったのに、変化にちょっと驚いた。こうなっていくんだ。子供に。ここの介護してくれる人が上手に対応してくれているのもわかる。父の生活が平穏であればと願うばかりだ。私たち子供は、父の要求、父の夢の向う口だろう。状況は無理でも、あと少しでかなえられると思うような夢を見せてあげたい。

K子とマクドナルドに寄る。父がもしものときのことを話す。かなり心臓が弱っていると医者から言われている。でも、割と元気そうだったよね、もっと弱弱しいかと思った、と言い合った。K子は既に葬儀屋と話をしていて、会場と規模をだいたい決めていた。もちろん異存はない。金額はこれでどうかなあ、とk子に言われたけど、安いか高いかわからない。コロナだから参列は子供だけ。父の兄弟、母方の親戚には、ファクシミリでお知らせするだけにした。子供だけでやると書いておけば、気を遣わせてしまうこともないだろう。K子の友人の親御さんの葬儀のとき、クラスターになってしまって、何人かは入院したそうだ。父母の兄弟や親戚は80歳代の高齢で、足を運んでもらうことはただでさえ心配なのに、コロナ禍ではなおさらできない。

夜に家に帰った。帰省した豚児やT夫にそういうことを話す。いとこに初孫ができたとか、姪が結婚相談所でお相手を見つけて結婚するとか、親戚のはなしの続きで、父の葬儀の方針を話した。こんな風にしか話せない。いったん情緒を入れると、情緒の深みにはまって、抜け出すのが大変だ。情緒の回りをドライに固めて、やるべきことを回していく。