1月21日(金)父を見舞う 子供であったという視点 

きのうは、11時ごろ銀座に着いた。靴屋に入る。プレーンな黒いパンプスを探していた。アウトレットにはないだろう、銀座なら、という目算だった。

女性の店員さんに欲しいものを言うと、デザイン違い3種で、サイズ0.5違いのを合わせて5足持ってきてくれた。履いて試して一番楽なのに決めた。アンクルストラップが付いているやつ。店員さんはカジュアルな服装で20代とお見受けしたが、私の足が片方少し大きいとかサイズが大きいのは内側があたるとか観察眼と商品知識があって、感心した。今のパンプスって、結構クッションがいいし、かかとにも脱げるの防止のクッションが付いているものもあって、足の痛みを和らげる工夫が施されている。

電車に乗って、父の老人ホームの最寄り駅に着く。駅前の蕎麦屋で昼食をとる。またAランチの海鮮3種丼とせいろのセットにする。14時ごろで、お客はほかに一組だった。私が食べているとパラパラ来て3テーブル埋まった。どんぶりのお刺身は〆鯖とハマチとマグロ赤身だ。〆鯖を久しぶりに食べた。ご飯は酢飯か白米かを選べて、酢飯は茶色のご飯だ。黒酢かなんかを使っているらしく、風味がとてもいい。完食した。あと何回ここに来られるか。

面会時間15時の10分前に老人ホームに着く。田島さんは午前中はよくお話されていたんですよ。案内してくれた職員が言う。エレベーターに乗って二階の父の部屋に入る前の、すれ違ったりちょっと離れたところにいるどの職員も、気持ちのいい笑顔で挨拶してくれる。いいところだと思う。

父は寝ていた。職員が起こしてくれた。
来たよ。知子ですよ。父の耳元で言う。そして話すことを探す。
家族はみんな元気ですよ。K子の家族も元気ですよ。
うーそうか、それは良かった。父が言う。比較的聞き取りやすい。良かったの言葉に、私はうれしくなった。こういうことを言えばいいんだ。以前、会いに来たとき尋ねられたことを。
豚児が車の会社の技術者になったよ。K子の○○君は今度就職だよ。
うー、良かったな。
豚児は、車の動力のことをやっているよ。
ああ、それは良かった。
私は調子に乗って聞いた。
なにか食べたいものはある? 
うーうー、食べたいものはないです。
食欲がないって職員さんから聞いていたのだった。そうだよな。
うーうーこれからどこに行くのか。父が言う。
どこにも行かないよ。
うーどこかに行ってきたのか。
ううん。顔を見に来たんだよ。
父の表情から、意味はわかったと見て取れる。
もう少しよくなったら田島会をしようね。
私が言うと、父の口と目が動いてにっこり笑い、ああそうだな、という表情をして何か言った。ちょっと途切れる。私は顔を見ていた。
顔色がいいよ。私が言うと、
うーそうか。父はまんざらでもない顔をした。本当に顔色がいいし、寝ているからか、顔にはしわがあまりない。
じゃあ、時間だから、そろそろ帰るね。私は言って握手して部屋をでた。今日の父は平穏な感じだった。父が不明瞭になにか言って、えっと聞き返して、二回くらい言ってもらうと、私は聞き取ることができた。話しかける合い間には目をつむったが、耳元で言うと目を開けて、言うことはわかったようだ。

施設を出た。田島会のことにあんなに喜んでいた、もうそんなことはできないのに。思いだすとくっと泣き声が漏れてしまう。きょうはK子が同行していないので、情動に制限がかけにくい。

自分のアイデンティを確かめたいのだろう。郷里の親戚と会って、懐かしい空気に触れたいのだろう、と思うと電車の中でも泣けてくる。

寄り道しないで家に帰った。T夫は今日も展覧会で帰りが遅くなる。冷蔵庫の冷凍カレーとごはんをレンチンして食べた。

自分の部屋に入ると、泣けて来た。父はもう何もできないのに、楽しみにしている。純真さが哀しい。そして私は気が付いてしまった。父が死ぬと私が子供だったことを知る人が居なくなってしまう。いや、私を無条件で庇護してくれた人が居なくなってしまう。
こう書くと、なんか、違っているような気もする。
いや、思い返すと結構きつい家庭だった。高校生くらいのときから、父とは言い争いをよくした。父の言うことを受け入れはしなかったけど、父なりに考えてのこととはわかってた。

親が死ぬと、子供としての私という視点がなくなる。子供であったという視点を支える実際の人物がいなくなる、から、寂しいのかな。