4月29日(金・祝)葬儀

きのうは、お葬式。10時半集合。故人の子供とその家族、故人にとって孫までが参列する範囲だ。久しぶりに甥たちに会った。

斎場にはほかに隣り合って二つの部屋(会場)があって、葬儀が執り行われていた。入り口に故人の写真を隙間なく張り付けたコルクボード二枚を置いた会場もあった。
当家は、入り口に、遺影から模写した鉛筆画が飾られた。パソコンのアプリで作ったのかと思ったら、ちゃんと人が描いたそうだ。うまいし、写真よりほんの少しいい感じに描かれている。遺族へのこまやかなサービスだ。義母のときも鉛筆画はあった。義父の絵の方がうまい、同じ作者だとすると上手になっている。

40メートルもあるか、長いフロアのむこうに外の景色が見えた、壁全面がガラスだ。天気は良いが風がある。竹藪と木々が風で揺れる。いっせいに枝葉が揺れるのではなくて、ばらばらに動く。枝の強さとかしなり具合が違うからだろう、揺れの大きさやタイミングが違う。部分が独立しているようだ。しかも、全体としてゆっくり動いているように見える。外の物音が聞こえないせいか、水槽の中や環境動画のようだ。

11時半から13時まで、告別式と初七日の法要。お坊さん、導師というらしい、が卒塔婆を二枚持ってきた。皆太陽の子で、これから53の修行をして仏になる。法要は、故人の修行の応援なのだ、と話をされた。
故人は戒名をもらって、別人になって、修行するのだ。生前の名前の人へのわだかまりは、持っている方がつまらない。お経を聞きながら考えた。

斎場付設の火葬場で焼いた。待っている間、1時間程、会食した。席はやや間を空けていたけど、どうしても話はする。義母の葬儀のときは、義姉が義姉の孫のためにコカ・コーラや烏龍茶やジュース瓶の蓋(王冠)を持って帰った。宴会でしか瓶にはお目にかかれないから、お孫さんにとってはレアものだった。今や、もう大きくなっているのだろう、王冠集めは話にも出なかった。覚えているのは私だけか。そう、わたしだけ覚えていること子供が知らないことをわざわざ言うのもなんだしな。レアと言えば、私には、ノンアルコールの日本酒の瓶だ。初めて見た。

骨になって灰になる。職員が、何かの骨を取り上げて、きれいな形のまま残っている、と言った。手袋をした指先が骨に触れてしまい、あち、と手を横に振った。のどぼとけを取り上げてその説明もあった。

お骨拾いは一回だけみんなでやり、3人だけ残して出た。3人立ち合いの上で職員がする。コロナ対策で部屋に多くの人数を居させないためらしい。

3人を待ってから、会場の入り口に戻った。竹藪や木々や駐車場に陽が注ぐ。帰る段になって、T夫が車をまわしてくるはずが戻ってきた。トランクにカバンを入れて、トランクの蓋を閉めてしまった。カバンに車のカギが入っていて、ドアが開かない、と言う。甥に送ってもらい、家のスペアキーをとって甥の車で斎場に戻った。斎場に車を取りに行くのは私の車で、と言ったんだけど、今日はこれで何もないですから大丈夫ですよ、と甥は言ってくれた。

T夫が帰宅した。みんなでお茶を飲んだあと、豚児のひとりは1時間後に帰り、ひとりは家の周りを散歩してから、夕方帰った。