6月6日(月)四十九日と納骨

きのうは、朝、祭壇にあられとせんべいとお花を供えた。冬場ならミカンをあげるところだが、墓地で分けて食べることができる果物がないから、果物はやめた。
祭壇の部屋に座布団を並べたら距離を保てないので、座敷との仕切りの板戸を外して広くした。うちって広ーい、と言ってたら居間でスマホとテレビを見ていた豚児が苦笑した。掃除して冷水ポット二つにお茶用意した。豚児に玄関の掃除を頼んだら、いいけど、と言われた。10時過ぎにT夫の兄弟とその家族が来た。うちの家族を加えると7人だ。義姉は袋チョコとサイダーとカルピスのペットボトルとお花を持ってきて祭壇に供えた。おじいさんはチョコが好きでチョコチョコ言ってたから、と義姉は言った。知っている。食事を20年以上作り続けたのは私だ。義父は年を取ってもケーキやてんぷらを好んだし、昔からご飯食しか食べなかった。あら、案外ご飯は柔らかいのね、と電気釜を覗いた義姉に言われたことがある。義父が義姉に、ご飯が硬いとこぼしていたと思われた。
お坊さんも来た。祭壇近くでT夫と話していてから縁側でうす黄緑の袈裟に替えた。隣の部屋を着替えに使ってもらうつもりでいたのだけど、まあいいや。T夫は着替えないだろ、と言っていた。
10時半、コロナの今、なかなか皆さんの前で話をする機会がないから、お経の前に少し話をさせてもらいますと、お坊さんは始めた。これから故人は53の修行の旅に行きます。三途の川に亡くなった人が来ると老婆がいて衣をはがす。そして、老婆が衣の重さを量って、重たい衣を着ていた人は川底の深いところを渡るよう言い、軽い衣を着ていた人には、浅いところを渡るように言う。老婆が決める。深いところ、そうでもないところ、浅いところ、と三つ渡るところがあるから三途の川という。いろいろ財産を残して亡くなると、深いところを渡る苦労をするので、生前に使ったほうがいいということです。
そうします、というか、死んだときにちょうどなくなるようにできればいいのだが。
続いてお坊さんは位牌に魂を入れるお経を読み、次に四十九日のお経を読んだ。墓地に歩いて移動する。遺骨と位牌と遺影と卒塔婆3つと線香とライターと花とおせんべいと義姉が持ってきた袋チョコを持って行く。私が最後に家の鍵を閉めてから、先行したみんなに追いつく。

墓地では、お墓の業者さんが一人待っていた。お坊さんはお経をあげ、業者さんは墓石の下を開けて納骨し、遺族は線香をあげた。お墓の下の空間は、私の実家のより広かった。三つくらい壺が見えた。まだ、4つくらい入れそうだ。

おせんべいとチョコを分けて食べる。チョコは食べきれないで残った。
私が鍵を開けて飲み物を用意するために早めに帰ってくると、2軒先の家のおじいさんが道のまんなかでこちらを向いて立っていた。「来ますか」とおじいさんは言う。「誰がですか」「ほれT夫さんとかほかの人たち」「あとから来ます」
家にみんな帰って来た。帰ろうと車に乗りむお坊さんに冷茶をはこんだ。義姉弟と家族に、遺品を見せる。欲しいものを持って行ってもらう。何かの勲章、キセル、血圧計、補聴器、義母が撮ったアルバムと義父母が写っている写真。義姉弟の小中高校の卒業証書、義姉弟の習字や自由研究などの賞状。義姉の結婚式写真、高校野球の冊子と新聞、毛布、タオルケット、タオル、厚手のジャケット、礼服、ネクタイ、小型ラジオ、未使用の靴下と作業服、杖、義母が集めたハギレ、浴衣の反物、針箱、浴衣、はんてん、漢方薬、老眼鏡、虫メガネ、木製花器、アルミ?の大皿、仏像や神様の印刷された古い掛け軸ーー紙製だから破れたりはがれたりしているーーセロテープで修正されていたりする。

義姉は、そろそろうちも終活しなくちゃいけないんだから、と言い、タオルとタオルケットを孫のために選び、賞状類とラジオを持って行った。義弟は俺も引っ越すかもしれないし、と言いながら賞状類と針箱にあった和裁のカーブを作る道具とアルバムから義父母の写真を一枚はがした。義父と義母の、はがきサイズの遺影の入った額がそれぞれ一つずつあり、その二つを義姉に渡し、義弟には手書きの義父の似顔絵の入った額を渡した。うちにはA3くらいの遺影の額を置くことになる。
うちにあったタンス2棹を処分していいという許可をT夫が取り付けた。ひとつはこれ私のタンス、と義姉が言ったやつだ。ずっとうちに置いてあったから、義父母のものだと思っていた。以前は義弟の服が入っていた。義母が亡くなって義弟の許可を得て服を処分した時に、そのタンスが義弟のじゃなくて義姉のものだとわかった。
もうひとつのタンスは、義父が使っていた。義兄が独身時代に使っていたもので、義姉夫妻が今の家に引っ越すとき、義父がもらい受けたそうだ。義父が亡くなってから知った。T夫は学生時代から下宿していたので、そういう経緯を何も知らない。

兄弟たちは遺産の話し合いをする日を取りきめて、帰っていった。1時半を過ぎていた。T夫と豚児と3人で和食屋に行った。行きの車の中で店に電話したら、2時ラストオーダー、2時半閉店ですがいいですか、と言われ、了解して、2時少し前に店に着いた。刺身御前と天ぷら御前を食べた。すっぱり2時半で促されて帰ってきた。遺品を、残しておくもの、資源ゴミ、燃えないゴミ、燃えるゴミに分別してまとめた。
4時過ぎに豚児が帰っていった。

夕食時に話が出た。
2軒先のおじいさんは、お坊さんに漬物をあげるために待っていたそうだ。渡していたよ、とT夫が言った。お坊さんを尊敬しているんだよ。お寺で行事があると、自分で漬けた漬物を持ってきて渡しているよ。あ、そういえばそうだ。行事があるとに差し入れするけど、お坊さんにも渡していたんだな。女性たちは裏方で、庫裏などで働いているから、行事でお坊さんの周りにはあまりいないのだ。差し入れられた沢庵や瓜の漬物は参加の皆でいただく。Tさんのおじいさんは上手に作るねえ、といつも評判だ。