3月15日(火)納骨、四十九日

きのうは、朝、家を出て電車に乗る。空いてて早く着いちゃった、と妹のK子からラインがあった。霊園近くの駅に降りる。ロータリーの車止めで、わかるように義弟のAさんが車のそばに立っていてくれていた。AさんはYシャツ姿だ。陽光に白さが眼を引いた。9時15分過ぎ、4月並みの陽気だと出がけのラジオで言っていたが、風がないし、5月並みだ。挨拶してAさんに感謝して車に乗り込む。
助手席にK子がいて、お骨の箱を抱えている。抱えているのを見ると大きいものだ。K子は後ろの私に、ごめんちょっとこれ持っててくれる、と白木の位牌を渡した。車は軽自動車でわりに狭いけど、3人だから十分だ。

以前霊園に来たときこの駅で降りて、タクシー乗り場なんかなくて、タクシー会社の看板に書いてあった電話番号に電話したら、今、出払っていて、配車できませんねえ、と言われたのよ。それで、そうそう、この道のあたりまで歩いてタクシーを捕まえようとしても、通らないし、結局、駅に戻って、電車に乗って、バスが出る駅まで行ったわ。おじいさんが一緒だったから。
ああ、おじいさんが一緒ならね。
私はこの駅から歩いて行ったことがある。とK子。ひとやま登って降りるくらい。歩道がないこのへんがちょっと危ないけど。
ふーん。
なるほど、上り坂カーブのところは歩道がない。

二人で車を降りて、霊園の管理棟の受付で、K子が書類を渡す。埋葬許可書とか引継ぎの書類だ。確認されて受理された。Aさんはお花を飾りに先に車でお墓まで行ってくれた。管理棟からお墓まではちょっとあって、車が便利だ。霊園のゴルフカートも乗ったことがあるのだけど、今日はカートは道に縦列駐車されていない。
お花は、Fちゃんにもらったフラワーギフトカードで買ったの、だから豪華よ、とK子。
そっか、お花を送るとき、カードで送ればいいのか、と私。
休憩ロビーの壁に会話はお控えください、と張り紙がしてある。椅子2脚とテーブルのセットがいくつか置いてある。外の自販機で、さきにK子が、ほうじ茶と生茶のペットポトルを買い、私は野菜ジュースを買う。ロビーの椅子に座って飲む。

Aさんが戻って来た。準備は霊園の人がやってくれるそうだ。椅子に座って生茶をのんでいたAさんが、ちょっと笑顔で言う。
木って書いてある。
そう。大理石の見本だろう、端の机に置いてあって、5センチくらいの厚みのA5くらいの大理石に、「木」と彫ってある。とは思っていた。それを指摘するAさんおもしろい。石に「木」って、でも石に「石」もなんだか。
私、半そでTシャツに「長そで」と描いてあるのを見たことある、石で、止め刎ねとかみるのかねえ。
私が言うことはなんか蛇足だ。でも永なら見本になるのだろうか。そういうことでもないみたいだ
お坊さんが、装束をつけて階段を上がってきた。下の階には住職控室や法要室や会食室
あって、母のときは、この階下で法事をした。あの時は、母の兄弟と従妹も来てくれた。
先にAさんとK子が外に出る。テーブルにお骨箱が残っている。お忘れ物ですよ、私がK子に持っていく。意外と重い。あ、忘れた。K子が言う。4人が車に乗り込んで、お墓のところに移動した。
周りはすべてお墓が建って、あいだの通路もアスファルトで舗装されている。母の死後、父が一年かけて選んだお墓だ。母の納骨のときは、建っているお墓が少なかったし、通路が土だった。
高い机が焼香台で焼香セットとおりんと黒い位牌が載せてある。
霊園の職員が二人いて、白い布を取り箱から骨壺を取り出し、墓石の水平の平たい石をもちあげ、垂直の平たい石を持ち上げた。空間があり、母の骨壺が入っていた。職員は父の骨壺を安置して、確認を促す。私たちはかわりばんこにかがんでよく見る。空間はあと4個くらい骨壺が入りそうだった。職員たちは墓石をもとに戻した。
白木の位牌と供物を石にのせる。供物はプリッツの小袋とあられの小袋とピルクル一個。お坊さんが、経本を台において、おりんを鳴らし読経を始めた。私の右ほおと首に日が当たり、立っているだけで暑い。汗ばんで来た。私の喪服はツーピースで、何度か上着を脱ごうかと思った。お坊さんはさぞや暑いだろう。隣のK子からときどきお腹の鳴る音がする。私はさっきの野菜ジュースのおかげでお腹が収まった。立ってるところからだからちょっと斜めからだけど墓石に彫られた戒名を見る。上の2文字がわかる。なかなかいい戒名をいただいたと思う。手前のお隣の墓石の戒名は釈○○だ。宗教によって釈が付くのだと、恩師が言っていたっけ。
父に、よかったね、と心で話しかけながら焼香をする。いい一生だったね。読経がすべて終わり、お坊さんに、お礼をして、供物を下げる。お坊さんとAさんに車で管理棟に行ってもらう。私たち、私とK子は歩いて向かう。
お墓にさ、あんまり骨壺入りそうもないね。お骨がいっぱいになったらどうするんだろう。歩きながらK子が言う。K子がお墓を引き継ぐ。
うーん、どうなんだろう。古いのを捨てちゃうのかな、供養して、と私。
壺に二人一緒に混ぜちゃうとか、とK子。
入るのかなあ、二人分。
Aさんの車が迎えに来た。行ってあげてくださいとお坊さんに言われた、とAさん。
あらまあ、疲れてはいないがありがたく車に乗る。
管理棟で、職員にあいさつをして、車に乗りK子の家に向かう。

こういうのって、墓地で食べるんだっけ。助手席のK子が、あられ小袋を後ろの席の私に渡す。
帰るまでに食べればいいんじゃない。あ、おれはいいや。K子が差し出すポッキーにAさんが答える。
K子がピルクルを一気に飲んで、ポッキーを食べだした。私もあられの袋を開けた。  
きのうお酒買おうと思っていたけど、忘れちゃったのよ。おじいさん、ピルクル好きだったこれにしちゃった。K子が言った。
K子の家についた。K子家族と父母が住んでいた。Aさんが表札を見ながら、7人のうち、もう、3人いない、と言った。K子の子供がひとり、独立してよそに住んでいる。父の居間には、机の上や下に花器、茶椀、茶たく、重箱、お盆、皿、カトラリーセットがなどかさねて置いてあって、フリマかリサイクルショップの様相を呈していた。見たことある物もあるが、ほとんど出していない、父母の遺品だ。K子に頼まれて、あとで欲しいものをチェックする。K子とAさんが着替え、私は喪服のまま、近くのパスタ屋に行く。霊園からK子宅まで、適当な店がなかった。パスタ屋で四十九日の会食すると決めていた。

お腹が膨れて家に帰ると、一つひとつ遺品をチェックを始めた。私が選ばなかったものは、捨てるということだ。居間にサイドボードという家具があって、洋酒やグラスやお客用の茶碗なんかが入っていた。これらのほとんどはそれだ。子供のころに眺めていたミニチュア花瓶とアポロの何かの記念メダルをもらうことにする。二時間過ぎて、疲れて、小休止する。ぶどうジュースを供される。さらに二時間以上かかって、やっとおわった。漆塗りの小皿とか、キンキラの茶碗など手に取って、技術はあるのに、こんなふうに使っちゃだめだよ、などど言ったりした。洋酒が何本かあったので、T夫にもらった。都合にいい日に、T夫と一緒に軽トラックで取りに行く。