8月17日(水)施餓鬼

きのうは、9時半ごろ松山下体育館に行ってみた。個人利用で登っていたら、混ぜてもらおうと思った。TさんとIさんがいた。承諾をもらった。いつもの練習会は11時から13時まであるのだけど、施餓鬼があって、12:50にお寺に集合だ。12時に練習会を早引けして家に帰って大急ぎでシャワーを浴びたとして、ギリギリアウトで遅れそうだ。それで個人利用で登った。Tさん素晴らしい。私はトラバースの練習をした。身についていない感じ。集中が足りなかった。11時からの練習会参加の人たちとおしゃべりして帰る。
シャワーを浴びて軽く昼食も食べることができた。
気温は33度もっとあるか、湿度があってむしむしする。黒のストッキングを穿いてスリップつけて七分袖のワンピースの喪服を着る。暑いのにこんな格好クレイジーとつぶやく。T夫は、お寺の役員なので、9時半からお寺に行って準備をしている。いったん家に帰って礼服に着替えると言っていたが帰ってこない。役員は新旧が10人くらいだ。新役員に引継ぎするので旧役員も出るそうだ。大の大人が10人もいて9時半から何するんだろう、と朝食時にT夫は言っていた。私は時間通りにお寺に行く。
本堂に入ると、エアコンと扇風機がついていた。でもそれほど涼しくない。汗が引かない。30畳くらいの畳の間と仏像や仏具や火をたく炉がある板の間がある。畳の間の両側に椅子が並べられていた。今年は新盆の家が4軒だ。コロナで一軒が4人以内と制限されている。端に役員がいて、T夫がいた。我が家は、義姉がすでに着席していて、あとから義弟が来た。板の間の仏像などに向かって、お坊さんの座る座布団と机があり、いつもの仏具が置いてある。洗面器の大きさのおりんもある。
板の間と反対側の入り口に、白いクロスがかかった4人用食卓のような机と前に小机がある。クロスの机の四隅に天井くらいまでの高さの篠竹を4本たててある。白いクロスの机には、丸い金色が付いている板が立ててあって、白木の位牌が4つ並べられている。新盆の家の位牌だ。位牌の前に、茄子やメロンや梨やサツマイモなどの供物、そして、水を張ったお皿に木の枝ひと枝を載せる。小机には焼香台がある。篠竹には、色のついた60センチくらいの紙の人型が下がっている。依り代というのかな。それぞれ赤、紫、緑、黄色で、何とか如来の字が墨色で縦に書かれている。

餓鬼は明るいところなんか来ない、こういう篠竹で影を作って餓鬼が来るように、こういうのを作る、とお坊さんが言った。

施餓鬼は、お盆で家に帰ってきた死者に餓鬼がたくさんついてくる。死者の名で餓鬼たちに施しをして、死者の徳を高めて死者がより良く修行ができるように応援する、とのことだ。

1時に始まり、お坊さんは最初は板の間の仏像の方に向かってお経をあげ、次に、座る場所を変えて、篠竹に囲われたクロスの机の餓鬼に向かい、まず、皿の小枝を取って水をつけて、小刻みにさっさっさっと小枝を振って水滴を卓上や篠竹の方に蒔いてから、お経をあげた。しばらく聞いていると、お坊さんによって一つの位牌の戒名と俗名が唱えられた。その家の人が一人ずつ椅子から立ち上がり焼香を上げた。4軒終わって、何か唱えられて、施餓鬼は終わった。2時すぎだ。

 役員の横にあった新しい卒塔婆と何か入ったレジ袋が各家にわたされた。我が家は私に卒塔婆をもってこられ、私がレジ袋とともに受け取った。レジ袋には菓子袋が三つ入っていた。兄弟と分けた。お茶のペットボトルもレジ袋で各家に配られた。

靴を履いて庭に降りる。義姉が出席した幼馴染の人と昔話をしているのを遠目で見て、義弟がじゃあ、と私にあいさつをして車に行った。T夫は片付けがあるのだろう、寺から出てこない。私も、義姉の方を見てから、車に卒塔婆を載せた。墓地に行って墓の後ろに立てた。
家に帰って喪服を着替えて、アイスを食べた。