9月16日(水)美しいもの 樫村晴香氏著

きのうは、「美しいものーーー表象、欲望、メタモルフォーゼ」樫村晴香を懸命に読んだ。

 

 美しいものは不吉でも不気味でもないが、特にそれが不穏なのは、美は物質から浮かび上がり、区別され、はぎとられた「表象」だからだ。これは物質の変態であり、そこで隆起するのは私の身体と欲望である。バーナムの森の不穏さは、森が森を擬態し、表象に転じ、それを見せつける時、常に生じることであり、これは何かが何を見せる時、――海水が波頭へと立ち上がり、孔雀が羽を広げ振動させ、女が女に変態する時、等しく生じる。

群像10月号211ページ

 グッとくる。続く。

等しく生じる。ただマクベスにおいて、バーナムの森は初めて生じた彼の表象であり、それゆえ原光景のような特別な重さを持つ。これは光源氏において夕顔がもつ特別の不穏さと同じでおり、真に欲望され美しい表象である彼女を起点に、線形の時間の中、表象は反復へと幾分か零落しだす。 

〈略〉
美しいものに驚嘆し、捕捉・称賛したいという感情ー思考、そして対象を撃ち取り、性交し、この称揚全体を何ものかに伝達しようとする運動に引き継がれる。

 同、211ー212ページ

  美しいと欲望するという、欲望に性も含まれるのは男の欲望なのだろうな。
美に驚嘆し捕捉・称揚したいのはわかる。でも性には結びつかない。ヘンかしら。性の欲望に欲望している気がする。
という私のことは置いといて、論はもっと展開していく。直感でしかわからないけど、なんかすごいことが書かれている。