10月18日(月)別荘に遊ぶ 2

きのうは、かちゃかちゃグラスを重ねる音で目が覚めた。水の音もする。誰かが、食器を洗ってくれている。一昨日は、夜11時を過ぎて眠くなって、A氏の次に女子部屋に引き上げた。S氏とH氏とK氏が残った。女子部屋は広間の隣だ。寝入りばなに、ぽつぽつと電子キーボードの音が聞こえた。夜の浅いときに、H氏は、大変な努力をしてものにした月光第一楽章を披露した。そのあと、よし、もう酒を飲むぞ、乾杯はしたけど、実は演奏に備えて控えていたんだ、とにっこりして、グラスにビールを注いだ。
寝なおすほど眠くもなかったので、着替えて広間に行った。6時半を過ぎていた。オーナーのS氏が台所にいて、珈琲を落としていた。赤いホーローの縦長のやかんに作っておく。きのう使った食器はシンクの洗いかごに洗いあがっていた。外は小雨が降っていた。さっき鹿が庭に居ましたよ。とS氏が言う。え、どの辺? そのあたり、と指すのは、ベランダから5メートルくらい先のところ。前は庭に入ってくることはなかったんだけど。木をかじりに来たんですか、おいしいと知っちゃったんですかねえ。あ、いた。一頭の鹿が庭の端から隣の敷地にゆっくり入って行った。

一昨日の夜は、H氏が、「雨ニモマケズ」に言及した。検索したスマホを見ながら、これを手帳に書いて、持ち歩いていたんだからなあ、と感じ入ったふうにつぶやいてから、朗読し始めた。…一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ――ああいいな。H氏の声はうわずっていた。ヨクミキキシワカリ ソシテテワスレズ… ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ… 少し読んではコメントをはさみ、読み切った。そして、僕は宮沢賢治はピュアだと思う。雨ニモマケズ以外では、あまり人気がないみたいだけど、よだかの星が好きだ、と言った。

H氏は純粋な人に惹かれる、というか、純粋な側面を見出して共鳴するんだと思った。
H氏もA氏もS氏も、学生時代は同じサークルとはいえ2つ上の先輩で、私はさほど交流がなかった。K氏は1つ上の先輩。同じサークルで連絡先がわかっている人達とゆるく合宿するようになったのは、ここ5年くらいだ。H氏は長年の仕事の心労の蓄積で、体が不調だということは過去の合宿の際に簡単に聞いていた。H氏は今回の合宿に参加するために、一週間前から睡眠をとるよう調節してきたと言った。子供のころから寝つきが悪く、年を重ねた今は、いっそう寝られなくなったのだそうだ。
S氏は、僕は「雨ニモマケズ」に強さを感じる、と言った。ああいうことを書けるなんて。

そして、はにかんだ笑顔で、職場で、朝、畑の世話をするんだけど、「下の畑にいます」と書いて、置いておくんだ。と言った。羅須地人会の、「下ノ畑ニ居リマス」だ。わたしは、H氏と顔を合わせた。

S氏は言葉少なくニコニコしているが、みんなが言いたいことを言ったあと、決めるのはS氏だ。宮沢寛治は「雨ニモマケズ」をみずから世間に発表していないとはいえ、行為の原理を作ることを、強さと感じたのだろうか。行為の原理といったけど、目標かな。

私は、宮沢賢治は孤独、個の人だと思う。つながっている実感のベースがないから、冷たい、なんかねえ、入りこめない、と言った。銀河鉄道の夜、最後、お父さんが、もうダメです、落ちて45分たちましたから。と冷静なところ。よだかもグズドーブドリの伝説も、主人公を犠牲にさせる。みんなの中の自分というのがないから、みんなか自分かになって、自分を犠牲にする。「雨ニモマケズ」にもピンとこなくて。

K氏は言う。盛岡出身の妻に聞いたら、「とてちてけんじゃ」は、むかしは使う人もいたかもしれないけど、かなりきついって言ってました。

今は、使う人は少ないんですね。と私。

 

私はお湯をもらって烏龍茶の茶葉を入れたカップに注ぎ、広間のテーブルで持ってきた本を読みはじめた。窓寄りの席だ。庭は200坪くらいあるだろうか。岩を砕いたような黒く粘らない土を、落ち葉と刈り込まれた草がうっすら覆っている。楓と広葉樹が何本か生えている。木々は屋根を軽く超える高さだ。敷地の境は前面が生垣で裏は自然木の藪だ。紗がかかったように小雨降っている。室内は薪ストーブでじんわり暖かい。20センチくらい開けた掃き出し窓から、かすかに木や落ち葉の濡れたにおいのするしっとり冷たい空気が入ってくる。心地いい。

しばらくすると、K氏もA氏も起きてきた。本を閉じて朝食の準備を始める。鍋を温め残った野菜を入れる。A氏がトマト入りのスクランブルエッグを作る。パンと、レンジで温めた栗ご飯を並べる。ヨーグルトを分ける。フライッシュケーゼを厚切りにして、フライパンでちょっと焼く。鍋は、ほとんど野菜しかなかったけど、野菜と肉と魚介の出汁が出ていてたいへんおいしい。
A氏が、H君、フライッシュケーゼ食べてみない?いけるんじゃない? と言う。
餃子は食べられるんだけど、これソーセージ?とH氏。

スパイスが入ったソーセージです。餃子が食べられるなら、食べられますよ、私。

H氏は、じゃあこの小さいの、と薄い一切れを食べた。おいしい、肩をすぼめて笑った。
今まで、みんなが食べるのを見ているだけで、損してたんじゃないの、A氏が言った。

朝食の後は、S氏が最近買ったという動物将棋をした。3×4の盤面で、駒は4つずつ、動物の絵が描いてあり、進める方向が矢印で記されている。最初はS氏とK氏。圧勝かと思ってたら、負けちゃった、Kちゃん強いなあ、つぎはA氏ね、とS氏。将棋なんて知らない、教えて、とA氏。K氏が付いてルールのおさらいしながらやって、すぐに終わった。つまんない、とA氏。じゃあ、と私。私も将棋のルールを知らない。ちょっと粘ったけど、負けた。H氏は、自分の部屋で電話していた。
次は、歌舞伎名ぜりふかるた。私が持ってきた。明治座売店で「い、色にふけったばっかりに」を一目見て、買った。最初はH氏が読む人になった。次は何の札か、集中して一声を待っていると、H氏は札を読む前に感想を言うことがあり、そのたび「コメントいらないっ」と私がシャーっと反応した。絵札が全部なくなり一回終わるごとに読む人を変えて、5回やった。二人同時に札に触ったと見えたとき、テーブルにカメラがセットされているので、じゃあ、ビデオ判定、と私が言ったけど、じゃんけんになった。だんだん気に入りの札ができてきて、マークする。「い 色にふけったばっかりに」「わ 悪い人でも舅は親」「せ せまじきものは、宮仕えじゃなぁ」が人気だった。