12月10日(金)「地獄の黙示録」を見た

きのうは、午前中、一昨日雨でぬれた夏タイヤを乾かして、ガレージの奥に置いたり、カーテンを洗ったりした。午後は食料を買いに行ったほかは家にいた。

夜、「地獄の黙示録」を最後まで見る。面白かった。川の上流の奥地が戦争の狂気を飲み込んで狂気になったように思った。逆かな、奥地という人間の技がないところで、自分で原理をしっかり持っていないと、だんだんおかしくなるかもしれない、と類推する。カーツ大佐は奥地でだからこそ王国を築くに考えが傾いた。都市にいればこうはいかない。武器によって人間の能力が拡張する。人間がちょっとぐらッと傾くと、武器によって拡張され、狂気というおおきな現われになる。
「わたしたちは助けにきました」というアメリカ軍のセリフとか、焼き払っておいて、野蛮人めと言うところとか、笑ってしまうところがいくつかあった。奥地の、そこここに放置されて引っ掛かっている死体は、ふつうにあるような扱い。死が露出してそれが風景だ。愁嘆場がないこともないが、堅苦しさはなくて、全体に妙に心地よさも感じてしまった。地獄から助かる可能性があれば、地獄は苦しい。地獄しかないのなら、苦しさは麻痺するだろうか。麻痺できない。 内なる人間の尊厳との闘いが苦しさを生む。