7月1日(金)粗大ごみの持ち込み 2

きのうは、午前中、片付けなど。

午後、粗大ごみの持ち込み。鏡台、ちいさい棚。五月人形とケース。電動ミシン。藤椅子、藤机。手押し車。机。こたつ。

講の念仏がひらがなで書かれた古いノートも捨てるとT夫が言ったが、これは取っておく。4冊ある。ずっと前に、市の職員が講について家に聞き取りに来たことがある。地元の調査というところか。義母が玄関で対応して、最後に、そのノートをいただくわけにはいきませんか、というような感じで聞かれて、義母は、大事なものだから、と断っていた。

T夫がロープをかけ始めた。あ、布団もあるよ、と言ったが、もう次だ。とT夫。あらそう。疲れているのか、T夫はいら立っている。気温が35度くらいで、何もしなくても顔から汗が滴る。それに軽トラックの荷台の底面がだいたい埋まってもいた。布団は上に載せられるがね。また、市役所に申請に行くことにしよう。

クリーンセンターの受付で車のまま計測して、1050くらいだったか。誘導された焼却炉の建屋の中は、3階建てくらいだった。4か所扉があり、扉は縦3階くらいで幅が車幅くらいだった。扉が開いて、清掃車が巨大な穴にゴミを落とす。
私たちは、前回と同じように、反対側に誘導され、車を停めて荷物を下ろしながら、機械、燃えるもの、燃えないもの、木、だったかに、分別されてそれぞれの場所に置かれた。ものの10分もかからず終わり、受付で計測して、900くらいだったか、暑くて、はっきり覚えていない。やっぱゴミは前回と同じ150なんだな、と思った覚えがある。マスクの中も汗をかいた。家に帰って、冷たい梅ジュースを飲んで休む。
郷土資料館に電話した。講の、物としての資料はないので、寄贈してくれたら助かります。というようなことだった。どうしましょう、伺いましょうか、と言われたので、うちに来てくれるより、私が持って行った方が楽なので、そうさせてもらう。郷土資料館がどんなところかも見たかった。

そのあと美容院に行く。この一年くらい担当してくれた人が、お店を来月中旬に辞める。私はこれで最後になる。何十年もこの店でやってもらっている。(年月を考えると恐ろしい)私の担当はずっと違う人だった。一年前に、次回を予約するんじゃなくて行きたくなったら電話するやり方に変えたら、いつもこの人しか空いていなかった。彼は高齢の親御さんと一緒に住む決意をしたそうだ。技術が確かで接客も上手だから、どこでもやっていけるだろうと思う。厳しい世だけど、新生活が幸せでありますように。

夜は、ロッキーに行く。I氏とI 氏がいた。Hさん親子もいた。M氏もいた。