7月4日(月)古いノートを寄贈 

きのうは、午前中、LANケーブルをつけ替え、あたりを掃除した。電気コードをもう少しすっきりさせたい。

午後、郷土資料館にノートを持って行く。廃校になった小学校の手前の建物だった。入口でスリッパをはいていると、ズボンにシャツ一枚の男性が来た。電話で話した人の名前を言うと取り次いでくれた。在館らしい。電話したとき、私が居なくてもわかるようにしておきます、ということだったんだけど、いらしてよかった。その女性が事務室のようなところから出てきた。丸首カットソーにジャケットとスカートで、柔らかい感じのひとだ。

○さんのご親戚だそうで。彼女が言う。やっぱり、と思う。この間、お線香を上げに、うちにお父さんと来ていただきました。今は、こちらにいらっしゃいますか。いえ、移動になりました。私が後任です。彼女はニコニコしながらグーに結んだ手を胸元に持っていった。この前電話を切ってから、ご住所で思い当たり、○さんに電話したら、ウチの本家ですって言っていました。

T夫に、ノートを寄贈するよ、と言ったとき、郷土資料館ってどこ?まえに○さんがいるって聞いたけど、そこじゃないだろうな。と言ったのだった。○さんは、叔父さんの娘さんだ。叔父さんは元小学校の校長で、戦争で早くに父親を亡くしている。こちらへ、と展示室隣の会議室のようなところに案内されて、広い会議机の角に90度になるようにして座る。
バンダナみたいな風呂敷をほどいて、なかのノート4冊を渡す。ノートは、表紙に呉服屋などの包み紙でカバーがかけてある。カバーに、「昭和4年」や「六座念仏」と書かれたものがある。中は、ひらがなで念仏がうつされていて、赤鉛筆でチェック印がところどころにある。彼女がページをめくって目を通す。大師の行程もありますね。大師の念仏かな、あ、ほかの講のもありますね。これで読んで覚えたのでしょう。大師はコロナで2年やっていませんね。そうですね。
大師当番というのが私の地区にもあって、一行がお寺に来ると接待していた。境内に机を出し、お菓子や地区の信心の人が持ってきた苺や漬物や赤飯を並べる。お茶をお出しする。4月と9月だったか。寺に到着する前に、白装束の20人くらいの一行のなかで一人が本物のほら貝を吹く。ほら貝の音が聞こえると、そろそろくるな、とわかり、やかんのお湯を温めなおしたりした。一行は、歩いて2.3日かけてお寺などを回るのだ。もっとも、最近は、足が悪い人が何人かいて、その人たちはマイクロバスで移動する。

めくっていたノートの中からハガキが出てきた。あら手紙。そう言って彼女が渡してくれた。見ると、○○大尉戦死の報告会をします。ということが書かれていて、最後に遺族として妻、長男の名前が書かれていた。長男が、叔父さんだった。これ、○さんのお父さんの名前です。○さんからするとおじいさんが大尉だったんです。じゃあ、○さんに渡します、彼女が言った。表を見ると、住所は書かれていなかった、ハガキじゃなくて、カードだった。これを手に取ったら、叔父さんは喜んでくれるかもしれない。

遺品の片づけをしていて、夫が捨てるというのを取っといたんですよ。私は、しなくてもいい自慢をする。

彼女が言う。講や大師講は、資料がなかったので、ありがたいです。講は、平成10年ころはまだやっていましたが、今は、やってるところが少なくなりました。あの、T地区の六道念仏踊りがありますよね、私が思い当たる節を言ってみる。T地区のように小さいところはむずかしいです。市の無形文化財の指定を解除しました。指定があると、無理してしまったりすることがあるのでね。ああ。そうなんですね。小さい地区だと戸数が少ない。全戸に家の跡継がいるわけではない。どうしても後継者が少なくなる。

展示室に出ると、土器が展示されている。壁には掲示物がある。入り口まできた彼女に挨拶して帰った。閉館時間が迫っていたこともあって、展示物は見なかった。

ノートを包んでいたバンダナ柄みたいな風呂敷は、地がピンクがかった海老茶色で、白で模様が入っている。裂けたような大きな穴が空いていて、小さな穴もいくつか空いている。でも、何か惹かれる。捨てないで洗ってみる。