7月23日(金)沢、敗退

きのうは西沢渓谷の東沢に行って、沢登りをした。メンバーはM氏、I氏、A氏と私。一泊のテント泊で帰りは沢の最上流部から甲武信小屋まで登り、戸渡尾根・徳ちゃん新道で下山する予定だった。でも、私が釜で溺れて、助かって、その日のうちに帰ってきた。

 早朝、車でM氏邸に行き、M氏の車に乗り、途中二人をピックアップする。6時から22時までのあいだに首都高に入ると、オリンピックで千円増しなので、6時前に首都高に入る。道の駅みとみに8時30分くらいに着く。

道の駅駐車場で支度して、出発。私のザックは9.5キロ。ほかの3人は私のよりかなり重い。20キロくらいあるだろうか。

道の駅から1時間歩いて、9時30分くらい。つり橋を渡って、右、沢靴に履き替えて下り河原で入渓。通常のルートは鶏冠谷の出会いで旧登山道に入り高巻きをするのだが、それをせずに沢を遡行する。最初の魚止めの滝では私とA氏は高巻きするがまた河原に降りる。だいたいゴルジェが続く。M氏とI氏はへつって進んだりした。8人くらいのパーティーが上の旧登山道を歩いていった。沢の後ろから来た若い男性二人のパーティーが、私たちの進むのと反対の岸を選んで私たちを抜かしていく。

ホラノ貝の手前で休息30分。行動食を食べる。12時くらい。少し進んでホラノ貝に着く。なるほど、岩がかぶさって奥の方まで続いているように見える。ほら貝の中のようだ。河原は広いが、切り立った岩や山に囲まれた水をたたえた青緑の淵(釜)。淵のむこうにほら貝の最初の口がある。水は、岩と岩の狭いところを通り、白い急流になって2メートルほど下の淵に落ちている。やたら体力がありそうな二人の男性が、河原で遊んでいた。白いTシャツと黒いパンツ、靴は普通の靴。一人は胸にゴープロカメラを付けている。ザックは背負っていない。さっき休憩していたときから白い人たちの姿はちらちら見えていて、歓声もときどき聞こえていた。

まず、M氏がザックを置いて、ロープをつけて空身で釜を渡る。岩が細くなったところの横について、這いあがる。次にM氏のザックにロープをつけて水に入れる。向こうでM氏がロープを引っ張り、岩に引き上げる。40メートルロープが足りなくなり、こちら側のロープを手放している。向こうでM氏がロープの先にふくらましたレジ袋をつけてロープを流した。浮いているロープの先を受け取った。

ロープの真ん中あたりを私のハーネスにフィギュアエイト・オン・ア・バイトで結んで、空身で平泳ぎで向こう側、M氏のいるところに泳いでいった。ロープは、M氏とI氏が持っている。向こう岸に着き、岩に上がろうとしたところで、バランスを崩して、細く白い急流に落ちた。手足を必死で掻いて、いったん顔を水面に出せたが、水流で底に引きずり込まれる。掻いても掻いてもなかなか水面にでない。強い力でぐっと背中を押されて、岩近くの水面に出た。M氏だろうと思った。いったん呼吸出来た。また、下に引きずり込まれる。居た岸に戻ろうとしたが、水面に出ない。また押してもらった。ちょっと呼吸する。また引きずり込まれる。ずうと手足で掻いているが、今度はなかなか水面に出ない。でも、水流が弱くなってきた、と思ったら、ロープで引っ張られていた。あおむけになった。息ができた。うまいうまい、A氏の声が聞こえた。そのまま背中が岸に着いた。疲れ切って体が動かせない。水から上がってもっとこっちに来て、とAさんが言っているが動けない。少ししてひじをついた四つ這いになれた。また少し休んで、水から上がった。

M氏は足にロープが絡んで、俺も危なかった、と言った。先に、M氏が寒い寒いと震えが止まらない。M氏はシートを羽織った。私は、敷いてもらったマットに腰を下ろしてツェルトを渡され体をくるんだ。すぐ、A氏がお湯を沸かしてくれて、お湯の入ったコップを渡してくれた。気が付かなかったけど、水を飲んでいたらしく、胃が重くて、2口くらいしか飲めない。だんだん震えが来た。I氏とA氏が持っていたのこぎりで落ちていた木を短く切って焚火を炊いてくれた。少し動けるようになって、焚火のあるとろまで5メートルくらい移動した。げっぷが出て、少し飲めるようになった。

さっきは居なかった白いTシャツの二人がやってきて、淵を渡ろうとする。向こうに置いてきたM氏のザック、むこうに行ったら、水の中に入れて流してくれませんか、とM氏が頼んだ。白Tシャツの二人は向こうにわたる。おおお、と歓声が聞こえる。「つるつる滑っている。靴が沢靴じゃないからな」と見ていたM氏が言った。しばらくして登れたらしい。ザックを前にして泳いできてくれた。I氏が、高巻きして先に行って沢を戻って取りに行くと言っていたのだが、それをしなくて良くなった。白T シャツの二人はまた向こうに泳いで行ってしまった。ときどき、わあっと歓声がきこえた。

濡れたの着てると冷たくて、ツェルトの中で、シャツとスパッツと短パンを脱ぎ、レインスーツを着た。靴下は良く絞ってまた履いた。I氏とA氏が河原から5メートルくらい上がったところに、タープを張ってくれた。二人の山屋さんは、重いザックをものともしないし、なんでもできるなあ。M氏が初めに背中を押してくれなければ、息がすぐにできなくなっていたなあ。

大粒の雨がザーザー降ってきた。

白Tシャツの二人は泳いで帰ってきた。かれこれ30分は向こうにいた。ずっと冷たい水に浸かっていたのではないか。すごい体力だ。焚火は雨で消えてしまったが、まだ暖かい。あたたまってください。と声をかける。この雨で、すぐ帰った方がいいですかねえ、と聞かれたので、内陸部は雷雨だと天気予報で言ってましたから、帰った方がいいです。と答えた。すぐ、向きを返して、下って行った。ゴープロつけてたからyoutuberだろうか。自衛隊なみの体力だね、などと皆で言い合った。

私たちはどうするか。3時30分過ぎ。私が岸に引き上げられて1時間以上過ぎていた。予定通り進んで広河原に行ってテント泊するか、撤退して駐車場にもどるか。私は下山が自信がない、と言うと戻ることになった。歩きだす前にペットボトルの水を飲む。冷たくて、さっきの沢の水でのどがふさがれた感覚がよみがえった。高巻きの山道まで行こうと、バリエーションルートを登った。山道に出たけど、遡上方向にすすんでいたことに気が付いて、戻る。上流に登っている気がしたのだけど、強く言えなかった。着替えたとき私は遡行図をどこに入れたか、どこかに行ってしまった。1時間くらい歩いてホラノ貝の河原に戻る。雨は止んでいた。
ふたたびホラノ貝からただしい道を行く。今度は目印のピンクリボンがあった。途中、「ホラ貝付近沢下り中死亡事故多発 ライフジャケット着けよう」と書かれた看板があった。

旧登山道を行くけど、今までの雨の影響だろうか、ところどころ道というか足場が崩れかけていた。でも手がかりがなさそうなところは針金や鎖やロープが張ってあって、心理的に助かる。うまい人はそういうのに頼らないで歩く。前を行くI氏はほとんど手は使わないで、足だけで行く。針金だけでなく目印のピンクリボンも要所にある。ありがたい。
ゆっくりじゃなくていいですか、I氏がM氏に言った。M氏は、え、ああ、という顔をした。いつもはよくしゃべるM氏は無言で歩いていた。
道っていいなあ。これをたどれば、着くのだ。テントも食料も持っているから、どこでもビバークできるけど、と思いながら歩いた。かるがもの子のように、先頭を行くI氏について行った。道を下ると開けた河原に出た。鶏冠谷の出会いだ。もう大丈夫。つり橋まで近い。まだ明るい。雲の間に青空が見えた。谷間にいたからうす暗かったのだ。ホラノ貝から1時間くらい歩いて5時30分くらいだったろうか。
休息をとる。I氏が、酒のつまみに買ったビーフジャーキーを出して、みんなに配った。しょっぱくておいしい。
ああよかった、ぎりぎりだったね、I氏が言った。

 M氏の助けとロープの引きがなければ水流に巻き込まれて死んでいた。初心者だから高巻きしますと言えばよかったのだ。地図だけでなくネットに上がった山行記事ももっと読んで自分なりに様子をつかんでおけばよかった。

今度はそうする。また、沢に行ってみたい。