9月29日(木)李禹煥展 

きのうは、国立新美術館で「李禹煥」展を観た。

私は70年代作品〈点より〉〈線より〉で李の作品を知った。〈線より〉、岩絵の具の青色がだんだんかすれていく。岩石の青の粒一つ一つが発色しているように見えて驚いた。日本画を描いている人にそれを言ったら、何をいまさら、日本画の画材はこうなのよ、高いけど、とういうようなことを言われた気がする。何度もぬりかさねるだけではなくて、一回限りの行為という意味合いを平面に持ちこみ、それを繰り返す時間や、肉体と精神の緊張感を感じさせた。これも驚いたことだった。

それより前の日本の潮流だった「もの派」の世界的な評価は80年代90年代になってからだ。評価は遅れてやってくる。李は作品に現れる精神性や哲学によって大きく貢献した。

韓国から日本、日本から世界へと、環境・文化を超える経験が、精神性や哲学を深めることに寄与したかもしれない。
アクリルの立方体で上面がなくて中に土が詰まっているのがあった。人が両手を広げて軽く届くくらいの縦横でおとなの首下くらいの高さだ。透明なおおきな桝に土が詰まっているイメージ。その部屋の床部は、透明アクリル板が敷き詰められてその下に土が敷き詰められている。
前室は石が敷き詰められていた。黒いスーツを着た監視員を見ながら恐る恐る石の上を歩いた。誰かが、監視員に尋ねてから石の上を歩いたので、いいのだとわかった。踏むと岩同士が触ってカラカラ乾いたがする。頁岩かしら。踏ませる作品だと理解した。いやいや、環境と作品の関係を鑑賞するものらしい。
土の部屋の土は茶色のミックスだ。床のも、これ土ですか、と変なことを監視員に聞いたら、土ではなくて、「おがくず」だと教えてくれた。おがくずに色を付けたらしい。美術館には土を持ち込めないんだ、バクテリアとか菌がいるかもしれないから、と次の日家で話題にしたときT夫が言った。

外会場に一面砂利を敷き詰めて、空間にアーチとその下に鏡面仕上げのステンレス板を置いた作品があった。出入口のガラスドアの下の外側のプレートに砂利の写真が貼ってあった。徹底している。

そして、石の姿があまりにいい。どこか石の産地から選ぶのだろうけど、もしかして、3Dプリンターで作ったのかもと思ってしまう。触ってはいけないから、材質がわからない。指で弾いてみたら、樹脂かもしれぬと思わせた。

 

2020年2021年2022年の「対話」「応答」シリーズがすごくよかった。とくに2022年の作品が。

直近の作品が素晴らしいということは、なかなかできることではない。制作で年齢を重ねること難しさを、ときどき思う。若いころの作品の模倣ではないか、と思わせるものはままある。若いころの作品を再制作として、新たに作り直して、それがテーマをより深く掘り下げた物になっている場合もある。なんだろうな、この違い。

李禹煥の直近の作品は緊張と自由と緻密が結実したようで、ほんと、良かった。