10月6日(木)「中里斉」展、映画「くじらびと」、「新里陽一」展、偶然

きのうは、11時過ぎ、恵比寿の東京都写真美術館(TOP)で、映画のチケットを買う。まだ早かったけど、小腹が空いていた。美術館併設のフロムトップに入って昼食をとる。豚肉と白いんげんのレモン煮。ドリンクは日本茶を選んだら、大きいカップになみなみ注いであった。外とはガラスで区切られた空間で、外を見てると雨が強くなってきた。美術館に来るまではぽつぽつとしか降ってなくて、傘をささずに歩いたのだった。

傘をさして、MEMというギャラリーに行く。麻のズボンにエーグルのパーカー着てたのだけど、風で雨が吹き込んできてけっこう濡れた。

東京都写真美術館から歩いて13分。1階にNADiff  a/p/a/r/tが入っているビルの3階にMEMはある。初めて来た。エレベーターで昇り、ドアが開くと、画廊の中だ。
中里斉さんの個展。

初期の作品がかかっていた。二回に分けて展示する。

私は2010年の町田市国際版画美術館での個展を観た。中里さんは会期中にアメリカのご自宅で亡くなった。最後期となってしまった線外(仙厓)のシリーズがとてもよかった。美術史に嵌らない作家で、独自に作品を展開、深化させていった。画廊の人と立ち話しした。先生という職業を持つことで生活を安定させ、作品を売れる売れないに関係なく作る道を選んだ、と話してくれた。制作と大学で教えることを両立させることはなまなかなことではできないと思われる。
作家所有の資料も展示されていた。アメリカで作家活動をするには、作品の意図や思考を語ること伝えることは不可欠だろうと思われるが、それにしたって、図説などに長けていたと想像される。

亡くなった2010年から10年後の2020年に個展が予定されたが、コロナ禍で延期され、今年になったそうだ。画廊によって、略歴と富井玲子による考察を載せた小冊子と、立派な案内状が作られている。これから作品を世に出そうとしている。寿ぎたい。

歩いて、また東京都写真美術館へ。

13時から、映画「くじらびと」を観る。

インドネシア、レンバタ島、ラマレラ村は、石交じりの土地で、作物が育たない。村民は銛一本で魚を突く漁で、生活している。市場で、魚やクジラ肉を農作物や衣料など必要なものに交換するのだ。
昔ながらの製法で作られた木船のクジラ舟に乗る。魚やクジラを探したり追いかけるときは船外機(動力)を使うが、クジラを見つけると、舟をひっくり返されることもあるので船外機(動力)は外されてマンタ用小型舟に積まれる。クジラ舟は船員がオールを漕いで獲物に近づく。ラマファと言われる銛打ちが、6~7mはあろうかと思われる銛を持って船から魚に向かって跳躍して銛を放つ。刺さると銛の竿が外れ、魚のカラダにめり込んだ銛先につけられた銛綱と船とが連結される。銛打ちは、海上に顔を出して船に上がる。クジラは船を引きまわす。弱ったところで2番銛を入れる。だんだん弱ってきて力尽きる。

――採り方は映像でわかるのだが、詳細はパンフを参照した。
クジラと頻繁に出会うわけではない。マンタも重要な獲物だ。マンタに銛を打ち込んだあと海面に顔を出し、銛綱が足に絡まったと言った銛打ちが、マンタが深く潜るとともに引きずりこまれて行方が分からなくなるという事故もあった。村人全員が深く悲しんだ。

銛綱が体に絡まることもあるんだ。「白鯨」のエイハブ船長の絡まりもないことではないのだった。

クジラ漁は村民全員の生活(生死)がかかっている。共同体の力を結集しないと採れない、生活できない。漁の季節の前の長老の祈りの儀式があり、漁にも禁忌がある。禁忌はたとえば、漁に行くときは夫婦げんかをしてはいけない、言い争いをすると悪いことが起きるというもの。船作りも祈りと禁忌とともに作られる。

クジラを採って暮らす、その直接性にぽーっとなる。船に乗るのは男性しか映っていなかったので、男性社会だろう。女性は漁労当事者にならない。鑑賞者の位置と重なる。

最後のアベマリアは私の感慨からはちょっとそぐわないと感じた。鎮魂にしたって、きれいすぎる気がした。

 

15時過ぎに東京都写真美術館を出て、茅場町駅で降りて、日本橋のSPCギャラリーへ。新里陽一展を観る。

 

帰り、日本橋駅から電車に乗る。来ていた電車に改札口から走って滑り込んだのだけど、乗ったらすぐにMさんから、今、ダッシュして電車に乗りませんでしたか、とラインがはいる。乗りました、え、同じ車両ですか、と応答して、小さく見回すが人が立っていてわからない。駅で車両を降りたMさんとすれ違った、とラインの続報でわかる。こんなこともある。おもしろい。