10月27日(木)「Do it! わたしの日常が美術になる」

きのうは、「Do it! わたしの日常が美術になる」国立新美術館所蔵資料に見る1970年代の美術、李禹煥展 関連小企画、国立新美術館 企画展示室2E、を観た。

安斎さんの写真展かなと思ったら、そうでもなかった。いや、ANZAIフォトアーカイブからの展示が主なのだが、チラシやポスターやゼロックスや動画もあった。田村画廊を経営していた山岸信郎さんが所有していた資料も展示されているとチラシにあった。
一時的な作品やパフォーマンスの記録が残ったのは、安斎重男さんがいたからこそだ、とあらためて思う。
私見だけど、安斎さんに作品の写真を撮ってもらうと、5割増しで、作品がかっこよく見えた。実際の作品より、その写真はハードボイルドのような気持ちのいい情感が加味されるような気がした。安斎さんは特別講義の講師として年に数回来校した。私は親しくはなかったけど、安斎さんの画廊での個展の作品掲示を、みんなでお手伝いしたことがある。その前後か、安斎さんが企画展か何かの展覧会の作品を撮りに来て、同じ建物内の違う自主展覧会に出していた私の作品を撮っていてくれた。私は知らなくて、撮っておいたからね、とあとで言われた。うれしかった。

70年代当時の作家たちは、宣言して広報して作品を作ったり行為をして記録を残すー-残った記録からしか振り返れない。少なくとも現代美術界というのがあって、その界隈に向けて発信する。発信する必要がある、という意識なのかもしれない。(そういうのを残さなかった作家もいるだろう。)
安斎さんの写真は美術史によく登場する。そしてそれらは主に東京の動向だ。私は、関西のことはあまり知らない。今回、京都府の山の上に一辺20mの三角錐を丸太でつくりあげて、避雷針を設置して雷が落ちるのを待つ、というプロジェクトの動画が面白かった。《雷》記録映像だ。雷が落ちた痕跡は認められなかったとあった。毎夏設置して撤去して、9年間続けるって、たいへんなことだ。