5月18日(火) 映画「ノマドランド」を見た 

きのうは、映画「ノマドランド」を見た。

ーー内容と結末に触れています。ご注意ください。

ノマドとは遊牧民のこと。

倉庫に家財道具が詰まっている。60歳代と思われる痩身短髪の女性、ズボンにシャツに防寒具、質実な恰好の女性が、男もののジャケットを大切そうに抱き、古そうな皿を数枚段ボール箱から取り出して、キャンピングカーに積み、出発するシーンから始まる。雪が風で舞い上がったりして、寒そうだ。キャンプサイトに住みアマゾンで働く。クリスマスギフトの配送の仕事らしい。女性、ファーンの車は狭くても使い勝手がいいように、蓋を開けると物が置けるボックスとか、自作の工夫が施されている。座ったままでなんでも取れる、とキャンプサイトで知り合った高齢の女性に話している。
 ファーンは、年金をもらうより、働いていたいんです、と、ケースワーカーに断っている。

そうやって選んだ車上生活だ。ここでは、車上生活を送り、労働のために移動して暮らす人たちのことを、遊牧民ノマド)になぞらえて、タイトルにしているらしい。ファーンのいるキャンプサイト車上生活者は、高齢者がほとんどだ。

景色が渇いている。遠くに岩の山があり低い草がまばらにしか生えてない所に、直方体の倉庫がある。息も凍りそうな粉雪が舞うところにぽつんとあるガソリンスタンド、キャンプサイトも、岩と砂埃の平地だ。プレーリーというのか乾いた草原と、岩もある砂漠。人の気配が無い。人が作った構築物がなかなか映らない。岩の砂漠に一本道があるだけ。たまに、味もそっけもない直方体の建物がうつる。そういうところを車で移動し、住んでいる。

ファーンは、知り合った、車上生活の先達の女性に、アマゾンの仕事期間が終わったら集会?に行かないかと誘われる。暖かい南部の砂漠の端でやるという。
 60歳、70歳、もっと上かと思われる高齢者たちが、集まっている。皆、キャンピングカーに一人で住む。リーダーの老人が呼びかけて、集まってくる。簡易トイレのバケツの大きさ、タイヤのパンク修理など、サバイバルの講習と交流と励まし合いだ。ゆるいコミュニティを作っている。

先達の女性は、70代だろうか、砂漠を走るのにスペアタイヤとGPSは必須、など、車上生活での暮らしの知恵がある。そして、がんで長くないと宣告されている。厳しくも息をのむような自然の景色を見てきた。以前アラスカで見た燕の巣が一面に張り付いている風景を見に行き、自死を選ぶという。私が死んだら、炎に石を一つ投げ入れて、私を偲んでくれれば、と。

ファーンの表情は、目が外に向かって光っていない。アピールしない。一人が長い人の表情だ。食べたものを写真にとって誰かにお知らせしたり、きれいね、と、人に言わない。心の中で、楽しいのを咀嚼する。見てもらうこともない。見て収めるだけだ。

家庭を含めた共同体の中にいるという感覚がないからかもしれない。私は、自分―共同体―外界、と、漠然と感じているのだが、ファーンは、自分―外界、となっているように思える。一人で外界と接している。さらされてる。

ファーンとお互い気になっている車上生活の男性が、息子の家に同居を決め、去っていく。ファーンが訪ねていくと、きれいな家、居心地のよさそうなベッド、気持ちのよさそうな家族の中で、彼は孫の赤子を抱いたり、息子とピアノを連弾している。ファーンは自分の車に戻り、寝なおす。ファーンは定住の満ち足りた生活を選ばなかった。
 車の修理で大金が必要になり、ファーンは姉にお金を借りに行く。姉は高級そうな住宅地の一角に住み、夫は不動産業でやり手らしい。なかなか対照的な設定だ。ファーンは育った家族の中で頑固ものだったとわかってくる。姉が、なぜ、ファーンが家出してあんな街に行って、住んでいたかわからない、なぜ車上暮らしをしているのかわからない、というようなことを言う。だからわからないのよ、とファーンが言う。ただ、仲は悪くない姉妹だ。  

企業のあった街では、みなが家族みたいにくらしていた。企業には夫が勤めていた。夫とその生活をずっと大切に思ってきた、というファーンの内面が分かってくる。企業がつぶれて街から人が出て行っても、住んでいた。いよいよとなって、車上生活になった。引きずっていたかもしれない、とファーンは倉庫の荷物を処分する。

高齢の車上生活者には、傍目には病気、事故、死がちらつく。景色を見てから死ぬという意志を貫いた女性が気になった。これでもういいと、私は思えるのだろうか。

共同体の中で調整しながら生活するのは、頑張れたり、違う視点(他者)に気づいたりして、得るものが多い。しかし、死を前にして生きる活動(生活)となると、そぎ落とされて、人のことは構わなくなり、自分に何が必要で何がしたいのか、ということが突きつけられる。

乾いた無情の景色もそれを助けているように思う。惹かれるところだ。