2月16日(木)伯母の葬儀

きのうは、早起きして支度して、9時過ぎに石神井公園駅に着く。駅前は広いバスターミナルで驚く。バスに乗って斎場に行く。9時半に着く。伯母様の葬儀だ。
伯母様には、子どものころから気を配っていただいたと思っていて、それが私の心のよりどころの一つになっていた。おばちゃんがいる、と。たぶん、私だけじゃなくて誰にでも気を配る人だったと思う。
去年の暮に、喪中のはがきを出したら、3日後くらいに寒中見舞いの返信をいただいた。しっかりした文字と心のこもった文章で、感嘆した。93歳だ。

たいへん残念だ。老衰ということなので、やすらかに逝かれたのが、せめてもの救いだ。――こういう紋切型になる。紋切型に気持ちをはめるという知恵か。皆、なべて、平らかにいられて、ことが運ぶ。

残念というのは、惜しい人を亡くしたということだが、私の子ども時代を知る人がまたいなくなったとも感じた。後者は私のエゴなのかもしれない。恩義を感じていた人をなくした、か。
柩に収まった叔母様の顔を見たら泣きそうになったが、子供である従弟たちも耐えているのだから、と持ちこたえた。

「会うのはこんな時ですが」と叔母が言った。「会うのはこんな時ですが、○○ちゃん、久しぶり。お元気でしたか」本当にそうだ。

従弟たちや叔父叔母と話をする。

コロナだけど、姪の範囲まで参列出来るようにしてもらえてありがたい。去年の亡父の葬儀では、参列は子どもの家族までにした。去年とは世の中の状況が違って、今年は通常に戻ろうとする状況でもあるのは、こういう時ありがたい。

10時から11時半まで葬儀、出棺。11時半からタクシーで新高円寺に移動して、火葬、収骨。13時半におわる。

従弟たちと従弟の子供たちを見ると、男性の顔、女性の顔、それぞれ似ていると思う。雰囲気が似ているのかな。息子の婚約者のお母さんが、私の妹そっくり、と一人の従妹が言った。
ええっと、ちいちゃんじゃなくて、くうちゃんじゃなくて、えりちゃんじゃなくて、さっちゃん。まあちゃんじゃなくて、けんちゃんじゃなくて、誰のお子だ。という感じ。声には出さないが、心で名前を検討しながら話す。

直来(なおらい)は、またタクシーで浜田山に移動してレストランにて行われるのだけど、私と妹は失礼した。もっと話をしたかったけど、高齢の叔父叔母に私のせいでなにかあってはいけないし、会食での感染リスクは避けたかった。妹と二人で帰る。
14時過ぎ、新宿で、お腹空いたから食べるか、と二人でおかゆの店に寄った。別れて、家に帰りついた。

返礼品は洋菓子で、フィナンシェとマドレーヌだった。箱を開けてすぐ、フィナンシェとマドレーヌをひとつずつ、ひとりで白湯を飲みながら食べた。亡くなったんだ、と反芻する。

夕食を作り、19時過ぎに松山下体育館に行く。寝不足で登れるコンディションではない。この日までのルートを登りたかったけど、仕方がない。未練で登れる装備をしてはいったのだけど、壁前に来ても、登ろうというコンディションではなかった。Kさんにお金を渡すという目的をすませて、袋チョコ菓子を皆さんに配って帰った。

一日を通してメールが五月雨式に届くのは変わらず。