12月17日(金)DIC川村記念美術館「ミニマル/コンセプチュアル」展、ギルバート&ジョージ

きのうは、T夫とDIC川村記念美術館に行く。美術館の日時指定のチケットは購入した。美術館は入館人数が決まっている。入館者が少なければ、当日券を買って入れる。そして、たぶん、きのうの感じだと、平日は待たずに入れるだろう。

朝、美術館の敷地にあるレストランのホームページをあらためて見たら、予約してくれと書いてあって、店の開店時間に電話した。通話中で何度目かにつながって、席の予約をした。
鹿肉ローストを初めて食べた。はす向かいに設定された席だけが使え、人数を絞ってはいるが、ほとんど満席だった。人気があるんだな。美術館のチケットを持っていなくても利用できる。多分、食事だけの客がほとんどだろう。

私たちの目当ては、「ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術」展だ。デュッセルドルフのドロテ&コンラート・フィッシャーの画廊で発表された作品や資料が、展示されている。資料は手紙や指示書や展示のためのドローイングや写真や案内状などだ。「生成を紐解くアーカイブ」とチラシにあったが、その通り。
ギルバート&ジョージが面白かった。顔に金粉や赤く塗って、スーツ姿で静止して彫刻になっている写真しか知らなかった。「人間彫刻」としてポーズを取って像になるパフォーマーと思っていた。たまに彫刻になる二人の生活というのは、日常生活に芸術の輪郭を与えることに思えた。何気ない動作を、察知して何気ないように見せる。
ギルバート&ジョージは1969年から70年代半ばにかけて、彫刻の概念をひろげた「郵便彫刻」として、友人やギャラリストやコレクターに郵便物を送った。その一つ、「Relaxing Walking Viewing」 くつろぐこと、歩くこと、眺めること1970年。このタイトルがいい。絵と文の印刷物3枚の作品だ。

そして、印刷物2枚と白黒写真1枚の作品。タイトルは「私たちの姿勢を描写する2枚の文章の頁」 1970年

 

彫刻家ギルバート&ジョージ曰く、

 

「私たちは人間彫刻であるにすぎない」

 

私たちは人間彫刻であるにすぎません。毎日起きて、ときどき散歩し、稀に読書し、頻繁に食べ、いつも考え事をして、煙草はほどほどに、楽しみを楽しみ、見て、リラックスをして眺め、夜ごとに愛し、気晴らしを見つけ、生活を促進し、退屈と闘い、自然に振る舞い、白昼夢に耽り、移動し、ときには描き、軽やかに話し、飲むのは紅茶、疲れを感じ、たまに踊って、大いに哲学して、決して批判せず、よい調べの口笛を吹き、とてもゆっくりと死んでいき、神経質に笑い、丁寧に挨拶し、夜が明けるまで待つのです。

この二人は5本の横木が渡された門に寄りかかって休んでいます。シンプルで簡単なことのようですが、話には続きがあります。たとえば、彼らの姿勢に似通ったところ観察してみてください。もしくは違いに目を向けてください――片方の髪は暗く、もう一方は明るい。ステッキを見てください。ひとりはシングルの、もうひとりはダブルのスーツです。その斜め方向に連なるくつろぎに思いをはせてください。左右対称なのは背景だけなのです。

 

みなさまのご多幸を願って

ギルバート&ジョージ

「すべての人のための芸術」1970年秋

 

前半は、かなりいい詩的宣言だ。

カタログを買った。

夜は、松山下体育館で、2時間クライミングをした。