11月3日市野さんの個展に行く。TSA回顧

 きのうは、銀座へ腕時計の電池交換をしに行き、日本橋の画廊SPCギャラリーで市野さんの個展を見た。
 市野泰通さん。私がTSA(東京芸術専門学校)に通っていたとき、中延学園の教諭だったし、TSAでも何かと仕事にたずさわっていた。私がTSAにいたころは、学生は講師の方を「さん」と呼んでいた。創作するもの同士という水平の雰囲気だったし、高校のように決まったことを「教える」「教わる」こともなかった。カリキュラムはあったが、学生が何をしたいか、言ってくれたらやりますというのが基本姿勢だった。講師はいつもいた。作品を作ってそれを介して講師にアドバイスをもらう。学生が自分で作品の道を見つけないと、いてもしょうがないような学校だった。自由の厳しさが身に染みた。
 これは当時のわたしの感想だ。学校が年月を重ねて変わっていったり、学生も人それぞれだから、感想はいろいろあろう。当時、斎藤義重、義重さんが講師陣に、「学生には教えるな」と言っていたと聞いたことがあるので、「教えない」は確かだった。しかし、学生は、人格の非常に深いところで教わった。作品は人格が顕れる。創作の学校として、「創作」を「教える」矛盾をまともにやった。義重さんの生き方が講師にそして学生に反映されていた。