1月8日(木)父との面会

 きのうは政府により1都3県に緊急事態宣言が夕方再発令された。

 父のいる老人ホームに行く。先月、日時指定で面会を予約していた。宣言が出ると報道されていたので、施設に面会を断られるかもしれないと一昨日思ったけど、特にそういうことはなかった。

 14時からの面会で、妹と施設の前に13時50分に待ち合わせた。私は早めに家を出て、施設の最寄り駅に11時40分に着いた。駅前の目当てのそば屋でざるとお刺身丼ランチを食べた。そのあとマクドナルドに移動し、30分くらい過ごした。風が強い日で、立っていると風に押されて半歩足が動いてしまうくらいだ。13時30分ごろ施設の前に着き、風に背を向けていると、妹がのぞき込んだ。ちょっと話をして入り口に入ったが、ドアが開かない。まあいいや、とベンチに座ってまたおしゃべりしていた。そろそろかな、と思ったら、ガラスの自動ドアが開いた。施設長さんが、すみません。面接時間の5分前でないと玄関を開けられない決まりなので、と釈明した。いえいえ大丈夫ですよ、などと返した。それくらい厳重な方が安心だ。
 前と同じロビーの端の応接セット、でも今回は、机に透明な板が立ててある。長椅子と机との間も広い。待っていると父の車いすが職員に押されて来た。父の車いすは、机の手前で止まった。間に透明板をはさみ、私たちのとの距離は2メートルくらいだ。

父は、うなずきながら、自分の誕生日と、私たちがどこに住んでいるのかを確認していた。私たちは、昔住んでいた山梨県か、父の田舎のうちか、に住んでいるのかと聞かれた。父が3年前まで住んでいた地名は出なかった。それはどこだ、○○駅の近くだよ、説明した。でも、私たちの名前がぱっと出たから、今回は娘だとわかってくれたようだ。私が、父の小学校、旧制中学校、戦争のとき、大学、会社に入って、となぞっていくと、そうか、そうだな、と一つ一つうなずきながら聞いていた。

 私が幼いとき母から聞いていた話では、父は戦争とき特攻隊にいて、9月に飛び立つことになっていた。戦争が8月におわったからよかった、だからあんたたちがいるのよ、みたいなことを何度か母に言われた。私は、自分がいる可能性に触れられて、そんな考え方もあるのか、とかすかに思ったと思う。へえ、と幼稚園児や小学生の私は思っただけだが、印象が強い。
 そして今から10年くらい前、孫(私の子)に父が昔話をしたとき、飛行場で?通信兵の(学校で?)訓練を受けた。起床や食事の合図がモールス信号で大変だった。敗戦直後マッカーサーが来るというので、その飛行場で準備して迎えた、みたいなことを言っていた。どこまでホントなのかよくわからない。でも特攻隊よりこちらの方が真実味がある。
 ウィキペディアに東京陸軍少年通信兵学校というのを見つけた。通信関係の現役兵下士官となる生徒に訓練、学科、術科の教育を行うところ、とある。これかもしれない。マッカーサー来日のときは駆り出され、学校のあった東村山市から調布飛行場に行ったのかもしれない。

 父のかんたんな来歴をたどる話に終始し、施設長さんが来て、面会が終わった。面会時間の15分は20分間くらいに延ばしてくれたみたいだ。父は車いすを押されて離れていった。
 妹とは、乗り換えの駅のショッピングモールのタリーズで話し込んだ。斜めに座って、ほうじ茶ラテを飲み終えるとマスクをした。

7日、新感染者、東京都は2447人。

 緊急事態宣言、7日まで。飲食店に午後8時までの時短営業要請。午後8時以降の外出自粛要請。学校は一斉休校求めず。大学入学共通テストも予定通り実施。イベントの全面的な自粛は求めず。出勤は7割削減を要請。宣言解除の基準は、直近1週間の新感染者数が10万人当たり25人。東京都は一日当たり500人。飲食店時短協力金1日6万円。