7月9日(土)わからない、の前で、状況は固定される

きのうは、午前中は家にいる。海外通販でロープを買おうと思ってクリックして進んでいたら、カードで決済できなかった。カード会社に電話して対応してもらったら、買えた。こういうこともある。

午後はバイト。

 亡父の誕生日ということを忘れていた。
4人の親たちが亡くなって、猛暑で熱中症を気遣う高齢者がいなくなった。熱中症に気を付けましょう、と天気予報で聞くと今でも、ああ、そうそう、うちの義父母は大丈夫かと思い浮かべ、すぐに、もういないんだっけ、と思う。夜に、部屋は暑いかな、エアコンつけてるかな、そして、エアコンつけながらふすまや戸やサッシ戸を開けて、廊下や外も冷やそうとしていないかな、と気を遣わなくていいんだ。

生きているとき、実父の誕生日で、もっと気持ちを表せばよかった。亡くなれば、誕生日より命日が重要になるようだけど、実父に死者死者死者と張り付くようでさみしい。
いる前提で付き合っている。いなくなる前提で付き合うなんて、そんなことその人を軽んじるようで、思い至らない。でも、いなくなるのは必至だ。

いや、こんなふうに思えるのも、亡くなっているからだ。しばらく続くと思っていた。しばらくっていつか、誰にも分らない。状況は固定され、観点も固定される。

 元首相が銃撃されて、死去した。