きのうは、午前中、喪中はがきを印刷した。
午後は、片付けなど細かいことをいろいろやっていて、17時から松山下体育館でクライミング教室のお手伝いをする。終わって、19時過ぎから、壁の点検という名目で登った。すぐ腕が筋肉痛になるので、一本登るとレストの時間を多めにとってゆるゆる登った。
亡父は最晩年、老人ホームにお世話になっていて、部屋には使い古したこたつの机が、家から運ばれて置いてあった。こんなボロいもの置いちゃって、と見てすぐ思ったが、長年なじんだものがあった方が認知症の人には良いと所長さんに言われて、と妹が言って、なるほどと思った。老人ホームという新しい環境に、見慣れたり使い慣れたものがあった方が、心の安定、アイデンティティの継続にいいのだろう。
物を片付けていると、そのことをときどき思い出す。わたしだったら何だろう。老人ホームでなくても病院とか。ベットのそばに置いておける小物一つ・本一冊。音楽はラジオでいいや。
本一冊無人島に持って行くとしたら何か、という質問があるが、無人島なんか行かないし、問いがロマンチックすぎて、そのときどきで変わると思っていた。本一冊老人ホームや病院に持って行くとしたら何かという問いは、割とリアルだ。アイデンティテイをつなぎとめる小物。何度読んでも奥深い味わいが感じられる本、って何だろう。
外国に3週間くらい旅行したとき、ガイドブックのほかに日本語がなくて、日本語の詩を読みたくなった。現地の本屋でちょっと探してみたけど、なかった。旅先に持って行きたい本と小物は、今なら、文庫の石田波郷の句集と気に入りの手ぬぐいかな、あ、耳かき、かも。
病院や老人ホームに持って行く本と小物は、リアルと言ってもなかなか決められない。芭蕉か漱石か小島信夫の評論集か、かなあ。小物はボロでないものを今から用意しておくのも変だし。